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2014年11月9日日曜日

Magdalen Martyrs -ジャック・テイラー第3作!-

そもそも洋書を読もうと思うきっかけは、日本では出ないあれやこれの続きが読みたい、ということだったのですが、いざ売り場に行ってみると、うわっ、100円とか300円とかで知らない面白そうなのいっぱいあるじゃん!、とハの字バカが暴走しあちこち目移りして、本来の目的になかなか戻ってこられなかったりしていたのですが、しかし、ケン・ブルーウンぐらい読まんと始まらんだろう、と一念発起し、ジャック・テイラー・シリーズ第3作『Magdalen Martyrs』をやっと読んだのでありました。

前作「ティンカー連続殺人事件」の結果からテイラーはもらった家を返し、再びベイリーズ・ホテルに居を構えています。酒とも適度に(?)つきあい本を読む毎日。そして、第2作に登場したギャング、ビル・カッセルから連絡が来ます。「借りを返してもらおう。」

お前はマグダレンは知っているな。俺の母親はそこにいたんだ。あの地獄から脱走するのを手助けしてくれた女性がいる。Rita Monroe。彼女を探せ。お前は人探しが上手いらしいからな。お前には二つ貸しがあるな。このひとつでその二つを帳消しにしてやる。いい話だろう。

マグダレンとは近年までアイルランドにあった未婚で妊娠した女性が収容されていた修道施設のこと。収容者はかなり劣悪な環境で洗濯所で労働を強いられていたということです。この本のことを調べていて知って、まだ私は未見なのですがそのことについて描いた『マグダレンの祈り』という映画もあるそうです。原作であるジューン・ゴールディングの回想録も翻訳が出ているようです。

調査を始めたもののすぐに行き詰ってしまったジャックは今や一児の母となった元パンク少女キャシーと元警官のブレンダンに助けを求める。そして二人の調査を待つ間、彼のうわさを聞きつけてきた青年の、彼の父を殺した犯人が若い後妻であることを証明して欲しい、という依頼も引き受けてしまう。その女性の様子を探りに行ったものの、ずさんな調査の仕方からすぐに目的に気付かれ、逆に徐々に籠絡され始めるジャック。一方元警官を巻き込むなどの調査のやり方に不満を持ったカッセルは、ジャックの頭に銃を突きつけ脅しをかける。ジャックは再び酒とドラッグに溺れ始めるようになってしまう。そして、友人2人の協力によってRita Monroeの行方はつきとめられたのだが…。


素晴らしい。傑作です。別に翻訳が無く読む人の少ないこの第3作が跳びぬけた傑作だと言っているのではなく、前2作同様の傑作だという話です。なぜケン・ブルーウンの翻訳が出ないのかと考えると色々腹が立ってきて罵詈雑言を書き散らしそうなので自粛しますが、ケン・ブルーウンがこのジャンルにおける現代のもっとも優れた継承者のひとりであることは確実で、彼の作品が翻訳されないのはジェームズ・クラムリー、デニス・ルへインクラスの作家の翻訳が出ないのと同等の損失で、大変不幸なことだと言わざるを得ません。まあ、出版社側でもそのくらいはある程度は分かっていて、なんとかケン・ブルーウンを日本で売ろうとは試みたもののあまり売れず、というのが今の状況でしょう。『ブリッツ』に至っては映画も公開されたのに原作の翻訳は出ない始末。とにかく今は時代が悪いのでしょう。しかし、これほどの作家がこのまま放って置かれるはずはなく、いずれまた翻訳の機会は来るだろうと思われますが、そうはなっても不幸なことに彼の全作品が翻訳される望みは薄い事でしょう。とりあえず今はケン・ブルーウンの著作は片っ端から原書で読んでおくしかないでしょう。つーかフラフラしてないで読むのはまずこれだろうが、オレ。

このジャック・テイラーシリーズには色々言いたい事があるので少し書いておきます。まずこのシリーズは「主人公が酒ばっかり飲んでいる間に周りの人間がいろいろ調べてくれて、事件の方が勝手に解決する」というようなものではありません。このシリーズはジャック・テイラーという元警官の本好きの酒飲みでかなりひねくれたオッサンの手記という形で書かれています。したがってこの本の中には彼が重要と思ったことしか書かれていません。どこでどうやって捜査してどのくらいの時間を使ったなどということは細かく書かれず、数行上手くいかなかったことが書かれるだけ。また、キャシーとブレンダンの調査に関しては自分ができない方法で調査をしてくれるので、そのことについては何も書いてありません。自分がわかることなら自分でやればいいことですから。そしてこのジャック・テイラーという人は事件についてあまり考えません。今作の2番目の事件については途中で完全に忘れてしまっていたりします。作者ケン・ブルーウンはジャック・テイラーという人物をそういう風に設定していて、極端な例では今作中後半で留守中にホテルのジャックの部屋がメチャメチャに荒らされ、その際誰がどんな目的でやったのかと考える記述はほとんどなく、ただ服や本が駄目にされたことに落ち込み買い直しに行き、またホテルの所有者であるミセス・ベイリーに対して申し訳ないという思いが延々とつづられます。ただ、この人は本当にひねくれた人なので色々と考えても書いてない、という場合もあります。前2作で面倒だから返さないという体を装っていた度々返却要請のある警察用外套ですが、今作のあるシーンでそれや警察官であったことに対する思いがけないほどの深い思いがうっかり吐露されたりします。
そして、解決について。例えば人は誰かがこっそり自分に不正を働いていたり、何かをごまかし続けられていたり、また、自分自身でごまかして目をそらし続けていても何時かの時点ではそれに気付き直面しなければならなくなります。このシリーズではそのように「解決」し、大変苦い形で決着がつけられます。これが「事件の方が勝手に解決する」などというのほほんとしたものではないのは当然です。
つまりこのジャック・テイラーシリーズは捜査や推理といった記述がほとんどなく、また本の最後に設定された「解決」というゴールに向けて主人公が行動しないミステリなのです。「ミステリ」好きの人がこれは「ミステリ」ではないと言うのは勝手ですが、ケン・ブルーウンはミステリ・ジャンルで高い評価を受けていてそのジャンルで作品を発表し続けている作家なので、私はあくまでもミステリとして読みます。

そしてそれらの替りにこの本に何が書かれているかというと、例えばミセス・ベイリーとの会話です。ジャックが外出するとき、帰ってきたときミセス・ベイリーは大抵フロントにいて、彼に声をかけます。様々なことが書かれていないこの手記の中ではあまり必要でないことも多くあります。しかし、”この善良な老婦人はどうして自分のような人間にこうまで優しくしてくれるのだろう”という感謝の想いがこの手記の中にその会話を記させるのです。そしてお馴染みの酒と酔っ払いと本のこと。この作品にもなかなかいい酔っ払い格言が引用されていたりもします。同じ(元)アル中探偵マット・スカダーについても言及していて、ジャックはアル中時代のスカダーの方が好きだということです。日本で誰かがこれを書いていると、ちょいわる親爺の「俺は甘いもの苦手だから」宣言ぐらいうんざりするのですが、ジャックなら許すよ。そしてそれらの中で最も胸を打つのは”存在しない二人の人物”の話です。ジャックはこの作品中で二人の人物に出会い、その会話でどん底にあった心情が癒されます。しかし、あとで人に聞いてもそんな人はいなかったと言われるばかりです。私は作品中のトリックや、ともすると犯人まですぐ忘れてしまうボンクラですが、こういうところは生涯忘れません。

さて、ご存知の通りこのシリーズには2作の邦訳がありますが、私はこの邦題が心底嫌いです。まず『酔いどれに悪人なし』ですが、この作品を読み進むにつれタイトルに違和感を感じ始め、なぜこんなタイトルが付いているのだろうと原題を見てみると、全く関係ない『The Guards』。そして最後まで読み通しても決して「酔いどれに悪人なし」などという感想は得られませんでした。原題の『The Guards』はアイルランドやその地方の慣用なのかまではわかりませんが、このシリーズ中では警察を示す言葉として常に登場します。主人公が警官ではないのにこのタイトルで、そのまま付けにくかったのは分かります。しかし、この邦題は酔いどれ探偵好きはこんな感じが好きだろう、というだけで付けられた内容を示していないばかりか、人によっては全く逆の感想を持ってしまうような本当にひどいタイトルです。そして2作目の『酔いどれ故郷にかえる』。1作目の邦題にかなり頭に来ていた私は、”酔いどれシリーズで行くつもりかよっ!”との怒りからしばらく書店でこの作品に手を付けられませんでした。やっとのことで”前作には書いてなかった気がするけど、ジャックには別に故郷があって、グリーンリーフの『探偵の帰郷』みたいな話になるのだろうか”と思いながら読み始めたところ、前作の最後にロンドンに行くと言っていたジャックが本当にロンドンにしばらく行っていて冒頭でゴールウェイに帰ってくるという状況を示しただけのものでした。この間ロンドン編が書かれたわけではありません。2兆歩譲って『酔いどれ』と『かえる』はありとしても、『故郷に』!?この『故郷に』はただ「語呂がいい」だけで入れられ、下の『かえる』を不必要な方向に誘導・強調するだけの安物Jポップの歌詞レベルのひどい語句の並べ方の見本のようなタイトルです。しかし、思い返してみると1作目を読み始めた時、このタイトルにはいささかの期待もあったように思います。酔いどれシリーズでもそんなに悪くなかったのかもしれない。でもこの2作の邦題はそれに続く下の句があまりにひどすぎます。原題と全く違うタイトルが付けられるのが日本だけの事ではないことも理解しています。でも、こんなものがありだと思うんなら今度「父と子の物語」テーマのマッチョ説教探偵シリーズを見つけたら「痛快ビッグダディ」シリーズとでもつけて出しゃあいいんじゃないですか?きっとバカ売れですよ。上にも書いた通り、ケン・ブルーウンの作品は必ずいずれ再評価されて再び翻訳が始まります。その時この2作が再版されるなら『バス男』→『ナポレオン・ダイナマイト』ぐらいの反省をして、まともなタイトルに直して出版されることを切に望みます。ちなみに今回の作品、邦題を付けるなら『酔いどれ借りを返す』は断固却下!原題通り『マグダレンの殉教者』で決定。

うむむ…。自粛するつもりが結局ずいぶん荒れてしまった…。これもひとえにケン・ブルーウン/ジャック・テイラー愛の強さゆえということで今回は見逃してください。しかしここのところ失敗続きでもしかしたら『酔いどれ借りを返す』がもう出てるんじゃないかと不安になってしまいますが、…大丈夫ですよね?私としては今後はこのケン・ブルーウンの作品を最優先で読んでいくつもりで…あっ、今頭の中で読もうと思ってる本が上にドサッと山積みされた…が、なんとか上の方に持ってきて、ジャック・テイラーシリーズや他の作品にも手を拡げてこのブログ上で感想を書いて行くつもりです。ジャック・テイラーシリーズはアメリカ制作でTVムービー化されたものもあるようなので、そちらもそのうち観てみたいなと思っています。         


●Max Fisher and Angela Petrakosシリーズ

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