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2015年7月28日火曜日

The Dramatist -ジャック・テイラー第4作!-

ケン・ブルーウン作、ジャック・テイラーシリーズ第4作、『The Dramatist』です。もー誰も読まなくたっていいよ!翻訳だって出ないでもいいよっ!俺がケン・ブルーウンを、ジャック・テイラーを読めればいいんだいっ!…と、今回も暴れそうな予感ですが、なるべく温厚に進めるように努めます。


最近の俺の主食は咳止めシロップとヨーグルトでさあ、とダラダラと始まるこのオッサンの出鱈目な語り口を読んでいるうちにこっちも力が抜けて幸せな気分になってくるのですよ。そんで、俺はもう6か月素面だ。酒もドラッグもやってない。酒をやめた理由については特に語られない。というか何度も死にかけて病院で目覚めるみたいなの繰り返してるわけだから。で、ドラッグを止めてるのは馴染のディーラー、スチュアートが逮捕されてしまったから。スチュアートは前作『Magdalen Martyrs』でキャシーに紹介されたディーラーで、見かけは銀行員、扱っているドラッグの効能と副作用をきちんと説明するという変わったドラッグ・ディーラー。で、命を縮める3つの悪習慣のうち、酒とドラッグはやめてるんだけど煙草だけは吸ってる。でもさあシルクカットが健康への影響が少ないみたいな言い方って煙草会社の詐欺だよなあ。なんて話があっちこっちにフラフラと飛んでいるうちに、いつの間にかいつものジェフの店でコーヒーを飲みながら話している。一人になってしまったけど用心棒もお馴染みの定位置に。そして、店を出て、酔っ払いや昔の知り合いと話したりしながらねぐらのベイリーズ・ホテルに帰ってくると、電話がかかってくる。キャシー。

 「スチュアートがあんたに来てほしいと言ってる。」
 「誰だって?」
 「あんたのドラッグ・ディーラーだよ。」

こうして話は始まる。

キャシーには借りも多い。渋々スチュアートの収監されている刑務所のあるダブリンへ向かうジャック。ちょっとした列車旅行。面会所であったスチュアートはジャックに語る。

「逮捕される2週間前に俺の妹が死んだ。友達二人と一緒に借りていたニューキャッスル・パーク近くの家の階段から落ちて首を折った。美術系の学校に通う真面な子だったんだ。警察の捜査では事故で片付けられた。だが、それは違う。倒れていた彼女の身体の下にジョン・ミリントン・シングの本があった。だが彼女はそんな勉強はしていない。そんな本を持っている理由が無い。彼女を殺した奴を見つけてくれ、ジャック。」

ジョン・ミリントン・シングはアイルランドの劇作家・詩人・小説家・フォークロリストということ。この人に関する知識は全くありませんでした。「アイルランドを理想化する傾向が盛んであった文学運動のなかで、強い風刺の精神を貫き、通俗性と芸術性を兼ね備えた独自の文体で、典型的なアングロ・アイリッシュ文学を生み出した功績は大きい。」(ウィキペディアより引用)とのことです。作中、ジャックもシングについてはよく知らないということで、評伝を読んでみたりもします。このシリーズの通例として章の間に様々な作品からの引用があり、今回はその中にシングの『アラン島』からのものもありました。断片から感じられた印象は、何か決定された死や終末に向かう荒涼とした感じ。ブルーウンが作品に象徴・反映させたかった部分なのだろうけどそこがうまくつかめたかは今一つ自信が無かったり。あくまでも短い引用からの印象なのでそれが作風なのかはわからないし、ざっと調べてもちょっと違う気もするが…。本来ならそのくらい翻訳もあるのだから読んでから書くべきなのだろうと思うけど、それができてないのは手抜きと言われても仕方ないです。すみません。まあいついかなる時でも「時間が無い」とかいうのは言い訳にしかならないのだけど、やっぱり自分にとっては切実なのでそう言い訳してしまいます。

これまでの色々な事件にかかわった結果の悲惨さから気乗りしないジャックだったが、渋々引き受け捜査を始める。前作から登場のブレンダンの姪である警官のリッジに頼み手に入れてもらったシングの本には太く大きな文字で「The Dramatist」と記されていた。

そして、第2の事件が起こる。

次の事件はジャックのすぐ近所で、暴行未遂に遭った少女が階段から転落死する。同じ階段からの転落死という状況に引っかかり調べてみると、まさしく死亡した少女の身体の下にはシングの本があった。再びリッジから本を入手し、開いてみるとそこには「The Dramatist」の文字が…。

今回は「ちゃんとしたミステリっぽい話」なんじゃないの、と思った人もいるのでは?まあ、今回のタイトルにもなっているものではありますが、これのミステリ部分は大して重要ではありません。推理による犯人の絞り込みなんて言うのもほとんどありませんし。ただ現実はこんなものなのではないでしょうか。二つの事件の共通点であるシングの本を連続殺人の証拠とみるのは、それを根拠にスチュアートから依頼されたジャックだけ。現場の状況から事故と暴行未遂による過失致死と断定され、おそらくは別の所轄の別の部署の担当の事件がそれによって組み合わされ再捜査されるなんてことは現実の世界ではほとんどありえないでしょう。ジャックがリッジに言ってみてもそんなのは低確率のたまたまの偶然だと言い返されるだけ。だから証拠物件である本も簡単にジャックの手に入るわけです。これはアイルランドの警察が駄目とかいうことではなくて、日本だってフィクション以外ではそんなものなのではないのでしょうか。まあ個人的にはトリック何点プロット何点の「ミステリファン」への悪意と解釈して楽しませてもらいました。ブルーウン本人がそこまで性格悪いとは思わないけど。通ぶって辛口感想を並べてみるけど結局は空気を読むのに敏感で大勢に準ずるを由とする「ミステリファン」の皆さんはどうぞとっとと★1でもつけちゃってくださいというところです。

私なりに読んだ今作のテーマは、いわゆるヴィジランテ行為であったり、そういう形で様々な人間が自らの手を積極的にある種のルールの外に出さざるを得なくなる世界ということではないかと思います。
第2の事件の後、ジャックはジェフから相談を持ちかけられる。ジェフの友人が事件の容疑者と目され拘留されていること。そして、更にジェフが心配するのは18世紀の反逆者による秘密結社パイクメンを名乗る街の自警集団がその友人を狙っているらしいこと。自分自身の情報から他に犯人のいることを確信するジャックが状況を甘く見ているうちに惨事は起こる。そしてパイクメンはジャックにも接近してくる…。

邦訳2作だけでも読んだ人はご存知でしょうが、ジャック・テイラーは法によって裁きを受けさせることができない状況で自らの手や、時には人に依頼して決着をつける人物です。同様の決着のつけ方をとるキャラクターといえばマット・スカダーを誰もが挙げるでしょう。しかし、スカダーとジャック・テイラーのスタンスはちょっと違うように思います。マット・スカダーは事件の最終決着を見てその手段を決意し、ある一線を越えて実行します。一方ジャック・テイラーは自分の責任によりその事態になってしまったことを後悔しますが、その行為自体にはあまりためらいもなく、そのことが深く心にのしかかることもあまりありません。また、場合によっては個人的報復という理由で暴力行為に及ぶときもあります。今作中でのある人物の死について周囲は彼の仕業であると見做しますが、警察に逮捕される、という場合を除いてはあえて自分の無実を証明しようとも動きません。つまりジャックはスカダーの越える線の向こう側に属する人間なのです。ただし、それは別にどちらが優れているとか正しいとかいう意味ではありません。スカダー作品は線のこちら側にいるからこそ描ける優れた作品であり、ジャック・テイラー・シリーズはそのような主人公だからこその魅力を持った作品なのです。また時代はそちらに動いているのだ、などと大仰な「俺ハードボイルド理論」を打ち立てるつもりも毛頭ありません。今はこういう時代なのでこういう探偵像が必要とされるのであるとかゆーのホントにうざいわ。
ジャック・テイラーは自らの手が汚れていることを知り、それを受け入れている人物です。そして、自分のような人間が手を汚さなければならないと思う彼は、今作中そうすべきでない人間が自ら行動してしまうのを見て、深く心を痛めるのです。そして彼はまた、安直な断定による自警団の行為と自分の行為にそれほど正当な線引きもできないことも知っています。

まともな読解力を持った人なら大抵はこのジャック・テイラー・シリーズをちょっとふざけたルーザーのアル中探偵の話として読み終えた後、何かしらの違和感が残ったものと思います。それは多分上に書いたような背景を持つジャック・テイラーという人が本当は私たちと異質な倫理観をどこかに持っているからではないかと思います。それは善だとか悪だとかともまた別のもののように思います。その辺が前作の感想の時にしつこく言ってた、これはジャック・テイラーという人が書いた手記だから、ということなのですが前回も今回も上手く説明できてたか自信はありません。まあ、次のでまた頑張ろう。ジャック・テイラーの自虐的でもあるユーモアを含んだポンコツオヤジの語りは、現代の汚れた街をゆく汚れた騎士なりの矜恃なのかもしれません。

そして、今作では最後、唐突にあまりにも衝撃的なことが起こります。なんだか翻訳家の人が時々やるのの真似みたいになってしまうのだけど、その章の最後のあまりにも美しく見える一文に何かの救いや逃げ道がないのかとしばらく見つめてしまうほどでした。
自らが罪を持った人間であることを受け入れて生きるジャックにもそれは支えきれず、最後には再びアル中に戻ることが暗示されて終わります。
今作では全編を通して素面だったジャック・テイラーは次作ではまたアル中に戻って登場するのでしょう。でも、「やっぱりジャック・テイラーはアル中なのがいいネ」とか軽く言うやつがいたら誰だろうと俺が手近にある一番硬くて重い物でゼッタイぶん殴るからなっ!

前作でも今作でも実は少しというか大きくキャラクターの移り変わりがあるのですが、それを書いてしまうとかなりある種のネタバレ的になってしまう気がして避けています。でも次辺りでは書かなきゃならないことも出てきてしまうかも。
あと、このシリーズに関しては翻訳の人などが文法を無視した特異な文体とか書いてて難しいのではと思っている人もいるのではないかと思いますが、それはちゃんと訳すとかいうと難しいのかもしれないけど、私レベルの文法なんてよく知らんし拾った単語つなげれば意味わかるじゃん、ぐらいでもちゃんと読めます。むしろその方がいいのかも。アイルランド語とかも出てくるけど必要なのは説明してあるし、それ以外はこいつアイルランド語で話しとるという擬音ぐらいに見て問題はありません。最初に誰も読まんでいいとか書いちゃったけど、やっぱり心あるハードボイルドファンの人には一人でも多く読んでもらいたい素晴らしい作品です。

というわけで、ケン・ブルーウン作、ジャック・テイラー・シリーズ第4作『The Dramatist』でした。多少は暴言も滲み出たけど、今回は割とお行儀よく書けた…のでは…ないか…えーと、まあ色々すみません…。私はあまりにも深くこのシリーズを、作者を愛しているのです。あれとかこれとか読まなきゃとか読みたいとかあるけど次もなるべく早く読もうっと。
最後に今作の架空邦題ですが、『酔いどれ、酒を断つ』は断固却下!『劇作家』は誰かの何か作品みたいなので(具体的には別に何も浮かんでないのだけど)、『ドラマチスト』でどうかと。『ティ』じゃなくて『チ』。


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2015年7月20日月曜日

Hellblazer -Jamie Delano編 第1回-

かつてのキアヌ・リーヴス主演映画化に続き、今年はTVドラマ化も失敗したようですが、とにかくお蔭で知名度も高く、日本でも名前だけは知ってる人も多いだろうオカルト探偵ジョン・コンスタンティンを主人公としたシリーズ『Hellblazer』です。

元々はアラン・ムーアがライターを務めていた時の『Swamp Thing』に登場したキャラクターで、その後、DCコミックスがVertigoを立ち上げた際に、彼を主人公としたシリーズ『Hellblazer』が始まりました。以降1988年から2013年までの長期に亘り、300号が発行され終了。その後はDC本体に移行し、現在も『Constantine』シリーズとして継続中です。

で、このたびその『Hellblazer』の最初のJamie Delanoによる40号分を結構時間かかってやっと読み終わったので、『Hellblazer』について書き始めてみようか、ということになったのです。元々は、「Jamie Delano編」1回で書こうと思っていたのですが、後に書いていきますが、このJamie Delanoの作風ちょっとややこしいところがありまだどう書いたものか悩んでいたりもするので、なかなかまとまらずまた長大になって数週引っぱる可能性もあったり、また一方でこれだけ長いシリーズですから、評価の高いガース・エニスのところから読もうかなと思う人もいるだろうから、なるべく詳しく説明した方が役に立つかな、という思いもあったりで、ここはひとつ急がず何回かに分けて適当にやってみることにしました。というわけで今回がその第1回であります。

まずは初登場の『Swamp Thing』のコンスタンティンから語るのが筋というところなのですが、実は私はまだそちらの方は未読です。理由は『Swamp Thing』をそこまで読んでないから。とりあえず飛ばしてそこだけ読んでもあまり支障は無いだろうということは分かっているのですが、まあ、あまりにも『Swamp Thing』の方も好きなのでそんなもったいない事が出来るものか!といういくらかお付き合いいただいてる方にはお馴染みの性格ゆえの事です。毎度申し訳ない。今後も『Hellblazer』については読み続けて書いていきたいと思いますので、いつの日かひょっこりと最初のコンスタンティンについて言及される日も来るのではないか、ということで。

というわけでこのVertigoからのJamie Delanoによる『Hellblazer』から始まります。Jamie Delanoは1954年生まれのイギリス出身のライターです。アメコミの世界では最初のポスト・アラン・ムーア・ブリティッシュ・インベンション世代になるようですね。ニール・ゲイマン、グラント・モリソンなどがその辺りで、ウォーレン・エリス、ガース・エニスはもう少し後、という感じになるようです。イギリスではマーベルUKの『Captain Britain』などの他に2000ADでもいくつか仕事があります。そして1988年Vertigo立ち上げの際にDC の有名な女性編集者カレン・バーガーにリクルートされ、『Hellblazer』を手掛けることになります。

さて、このJamie Delanoによる『Hellblazer』ですが、ちょっと世間的な評価は知らないのですが、個人的な感想では少し読みにくいです。それには二つの原因があると考えています。

まず第一はモノローグ、ナレーションなどのテキスト量がかなり多い事。そして、オカルト・超常的なストーリーということもあって少し凝った難しい単語が多用されたりする事。まあ、これらは読み手である私の英語力に起因する事なのであまり胸を張って言えることではないのですが、それでもこれが日本語で描かれたマンガでも物理的にテキスト量が多ければ時間がかかってしまうのは必然かと思います。
そしてそのモノローグなどの性質というものもあります。その辺についての考察は私のこだわりの分野ですので後にやるつもりですが、この『Hellblazer』という作品は主人公が一匹狼の探偵ということで、一人称で語られるハードボイルド/私立探偵小説のスタイルを意識して作られています。そのスタイルゆえにモノローグは饒舌になり、量も増えるということになります。
更にまた別の側面から見たそれらの性質というものもあります。一貫したストーリーを持つマンガ/コミックに於いて、モノローグ/ナレーションには大きく分けて2つのパターンがおると思われます。一つは絵を中心にして表現されるストーリーを補完するもので、もう一方はそれと逆にモノローグ/ナレーションを中心にストーリーが進むものです。ちょっとややこしい言い方になってしまいましたが、後者の分かりやすい例としてはノンフィクションやルポ物のマンガで多く見られる手法です。しかしこの手法で洗練されたモノローグ/ナレーションを使いフィクションとしてのコミックを構築することは充分可能なわけです。ただし、そもそもこの手法はまず単純に「読みにくい」という理由で敬遠され、部分的なシーンで使われることはあってもあまりこれを中心とした作品というのはあまり見られません。私小説的なマンガとかだと結構あるかな。この手法の利点はキャラクターの思考や意識の流れを言葉でより深く描けることです。そういったものを画で表現する方法もいくらでもありますが、直接的な言葉というのが有効でわかりやすいものであるのは確かです。Delanoの後、41号からはガース・エニスが交代しライターを務めます。まだ私はそちらは少ししか進んでいないのですが、Delanoの手法を引き継ぎ、モノローグはかなり多いのですが、それでも前者のタイプに寄ったものになっていて今までのところはDelanoより読みやすく感じられています。
ライター/原作者-作画という関係で、ライター側があまり考えなしにモノローグなどを多用してしまうと、ひどい場合だと延々と直立不動のキャラクターの周りをカコミが巡るという画ができてしまったりします。これはいくらモノローグが多くなってしまってもページ全体を文字で埋めるわけにはいかず、また一コマにあまりに大量のモノローグを入れるわけにもいかないのでコマ数も増えるという形で物量的に要求されるスペースは増える一方で、逆に画的な部分でのストーリーの流れは停滞してしまうということから起こる事態なのですが、この作品ではそんなことは起こらず、常にキャラクターの動きも描かれていて、併用されるフキダシでの会話とのリズムも上手くできています。やはりこれはモノローグに対応する場合によっては一コマ単位ぐらいの場面に関しての記述も入ったシナリオが作られているということでしょう。つまりDelanoは下手なライターゆえに読みにくいモノローグ/ナレーションを詰め込んだ作品を作ってしまったのではなく、きちんとコミックをわかった上でこの『Hellblazer』ではあえてこの手法を使ったライターだと思うのです。

そして第2の点は、このJamie Delanoによる『Hellblazer』のストーリーがまっすぐ進まないというところです。コミックに限らず語られるストーリーでは常に話の目指す到達点があり、その方向に向かって適したルートを進んで行くものです。しかしこの『Hellblazer』ではDelanoはあえてその最速の道筋をたどりません。そのため、話がどこへ向かっているのかなかなかわからなかったり、あまり意味があると思えないシーンが延々と続いたり、また目的地は分かっているのだけどすぐにはその方向に向かって話が動かないというような局面もよく現れます。私はまだDelanoの他の作品を読んでいないのでこれが彼の常に使っている作風なのかはわからないのですが、この『Hellblazer』においてはそうです。これは作者Delanoがコンスタンティンというキャラクターが自然に動いて事件などに巡り合うという形を作ろうとした結果なのではないかと、私は考えます。キャラクターが自然に動く、というのは色々な物語の作者によって言われていることですが、大抵はストーリー自体が大きく動いているときだったり、その流れでキャラクターに慣性が付いている状況だったりします。では全く何の慣性もついていないキャラクターをどうやったら自然に動かせるのか。まずはそのストーリーの目的地点に向かうきっかけだけを与え、キャラクターを歩かせ始めどうすればキャラクターがそこにたどり着くのかを考え色々なきっかけを追加しながらキャラクターの動きを見守ります。それを考えるためには何を見たか、またそれを見るためには誰と話したか、その人物とはどう知り合ったのか、などなどの逆算をしながら配置されたきっかけによってキャラクターはやっとその目的地点にたどり着きます。それがこのコンスタンティンというキャラクターにとって一番自然になるように作者Delanoによって考えられて作られたものがこの『Hellblazer』のまっすぐ進まないストーリーなのではないかと思います。この方法はストーリーを中心とした考えからすると無駄も多く回り道にはなるのですが、一方でその行動には常にキャラクターの内面が反映されているものとなりキャラクターの個性などが強調されたものになります。つまりこれはストーリーのスムーズな流れよりキャラクターを優先させたDelanoの手法なのではないかと私は思います。

以上の2点により、Jamie Delanoの『Hellblazer』は私にとっては少し読みにくいものとなり、結構時間もかかってしまったのですが、なぜそうなっているのかを考えてみると、いずれも通常のコミックの読みやすさなどに反しても主人公ジョン・コンスタンティンの内面をより深く描こうとした試みだったのだろうと思います。そしてそれはかなり成功したのではないかと私は思います。
映画などの事もありジョン・コンスタンティンというキャラクターについては色々なところで書かれていて、目にしたことのある人も多いと思います。その際この風変わりなキャラクターを説明するためによく使われているのが『Hellblazer』開始以前にさかのぼるコンスタンティンの過去の経歴です。あとから付け加えられたものもありますが、基本的な部分はほとんどがDelanoによって作られたものです。またそのような幹を持っているキャラクターだからこそのちのライターが様々な枝を加えて行くことができたのだろうと思います。
と、キャラクターについて書いてきたところで、やはり自分で考えてもアラン・ムーアによる最初のコンスタンティンを読んでいないことがネックになってきてしまうのですが、それでもいくら天才アラン・ムーアにしても数話のゲスト出演で一人のキャラクターを完成させることはできなかったろうと思います。Jamie Delanoは考え抜かれた独創的な手法を使い、より深くその内面を描くことにより、その後長く続くジョン・コンスタンティンというキャラクターをアラン・ムーアの基礎の上に構築した優れたライターなのだろうと思います。

『Hellblazer』以後のJamie DelanoについてはVertigoからのオリジナル作品などもあるようですが、やはり『Hellblazer』で見せたその特異な作風ゆえかDCのメインのシリーズを担当するというような王道には乗れなかったように見られます。小説作品も2冊発表しており、個人的には高く評価する作家ですのでいずれ機会があったらその辺りも含めて過去作も読んでみたいと思っています。
『Hellblazer』に関してはその後25周年記念にJockとの共作でグラフィック・ノベル『Hellblazer:Pandemonium』を手掛けています。現在私は発行順に全話収録されている(のだと思うのだけど)新編集版のTPBに沿って読んでいるので、いずれはそちらにも時系列順に出会えることになるかなと思っています。
また、前にも書いた通り、この『Hellblazer』はガース・エニスに引き継がれて行くのですが、その後旧Valiant、Acclaim時代の『Shadowman』など、逆にエニスからDelanoへ引き継がれた作品もいくつかあります。『The Boys』のイギリス系アーティストの応援的参加を見ても、エニスがイギリス作家との友情に篤い男なのはうかがわれますが、それよりも前に、自分に先んじてこのジョン・コンスタンティンというキャラクターを深く構築したJamie Delanoの実力を高く評価しているのだろうと思います。

というわけで、危惧した通りかJamie Delanoについて書いただけでまたずいぶん長くなってしまいました。自分としてはとにかくまずJamie Delanoのこの『Hellblazer』における特異な作風についてきっちり書いてから始めなければというところだったのですが。しかし、内容に全く触れられないまま延々と作風について語られてもさっぱりわからないというものかもしれませんので、今回は第2回以降が出てから読み直してもらう方がいいのかもしれません。とりあえず第1回はここで終了となりますが、全く内容についてまで届いていないのも申し訳ないので、最後に簡単な概要だけ書いて終わります。次回第2回は作品内容について少し詳しく語りつつ、今回積み残したハードボイルド的考察についても書いて行く予定です。先の長い『Hellblazer』ですし、とりあえずはあまり間をおかず早くJamie Delano編を完成できるよう努力します。

■概要
Jamie Delanoの『Hellblazer』は5つのパートに分かれています。最初はコンスタンティンがDamnation ArmyとResurrection Crusadeというカルトの争いに巻き込まれて行く話が中心の"Original Sins"。そしてコンスタンティンの過去のエピソードとして有名な「ニューキャッスル事件」を転換点に前の話から続く"The Devil You Know"。コンスタンティンがヒッピーのコミューンで出会った超能力を持つ少女とその能力を軍事兵器に利用しようと企む政府機関をめぐる"Fear Machine"。コンスタンティンがリアルな連続殺人鬼との対決を余儀なくされる"The Family Man"。そして最後はこれまでのキャラクターも登場し、コンスタンティンの子供時代から出生までさかのぼり、更には死も語られる"The Golden Child"。ただこれらのサブタイトルはあとで単行本的にまとめる際などに付けられたようで場所によっては違うタイトルになっているかもしれません。ちなみに現在発売中の新編集版ではVol.5の前半までがJamie Delanoによるシリーズです。ちょっと調べてみたらVol.1に初登場の『Swamp Thing』76-77が収録されてたり、持ってないVol.4までにも色々読んでないのが入ってたり。やっぱりそっちも買い直さないとダメかな…。


●Hellblazer


●Constantine


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2015年7月12日日曜日

A Man Alone -ADR Books第2弾!-

特別枠!…を空けるのに一体何か月かかっているのか…。昨年末なんとか追っかけて行きたいとか言ってたAll Due Respect Booksの第2弾がやっと登場です!イギリスの新鋭作家David Siddallによる男の孤独な闘いを描く、約100ページの中編ノワール作品、『A Man Alone』です。


John Doyleは深夜、誰かの微かに聞こえる泣き声で目覚める。ウォッカで酔いつぶれていた妻は朝まで目覚めることはないだろう。では彼女の連れ子のティーエージャーのAprilか?

娘の部屋に様子を見に訪れた彼は、彼女の顔に殴られた痣を見つける。Burnsie。Aprilの付き合っているチンピラの仕業か…。

翌朝、Doyleは角の店に新聞を買いに出る。いつものようにチンピラがたむろしている。Burnsie。
「Aprilに手を出すな。」
首根っこを掴まれてもヘラヘラと笑いを浮かべるチンピラの顔面に一発叩き込む。

家に戻ると黒いSUVから一人の男が現れる。ガタイのいい暴力慣れした男。Barry Wood。町の顔役。

だが、こういう男の扱い方は分かっている。

Doyleはかつて戦場と化したアイルランドで、人には語れない任務についていた。そしてその仕事が終わったとき、彼は誰も自分を知らない地に去った。そしてこの地で一人の女性と恋に落ち、結婚。そして平和に暮らしてきた。…今日までは。

だがBarry Woodは街の顔役だ。今までその力による恐怖でその地位を築いてきた。一歩も退くことはできない。そして、この町は彼の町だ。町で会う人間は誰もがDoyleから顔をそむける。そして地元で暮らしてきた妻も、娘も、あたかも彼が原因で引き起こされた争いであるかのようにDoyleを責める。

これは何のための戦いなのか?誰を守るための戦いなのか?

お前はよそ者だ。この町では誰も味方のいない、たった一人ぼっちの男なんだよ。


「男の孤独な闘い」とか言ってみたけれど、何となくノスタルジックに浮かぶような美しさは微塵もありません。暴力による解決は暴力の連鎖を呼び、あらかじめ見えている陰惨な落としどころを回避する事は敵わない。暴力によって何も解決しないのは自明の事。しかし、暴力以外の解決策は見いだせない。暴力によって暴力の説得を試み、暴力によって暴力の制圧を図り、最終的には暴力による暴力の破壊以外の道を見いだせなくなる。このテーマの作品としては、私が近年読んだ中では常に瀬戸際で軋むように吐き捨てられる主人公の内面の叫びが一人称で疾走する傑作、Anthony Neil Smithの『Yellow Medicine』が秀逸でした。この作品も中編ながらその過程がきちんと書き込まれたなかなかに読ませる力作でした。
イギリスの作家ということでもちろん舞台はイギリス、リバプールの近郊のようですが、最初作者の情報なしで読み始めたのでしばらくは気付かず、アメリカの田舎町か郊外の話かと思って読んでいました。もしかしたら辞書で引いても出ないことも多い地名を読み飛ばしていたかも。もっとイギリスに詳しい人が読んだらどこが舞台であるとかはっきり分かるのかもしれませんね。
まあ言ってしまえば『ヒストリー・オブ・バイオレンス』(John Wagner原作!)系の作品ですが、そうやってあらかじめ分類してしまうと何となくそこに当てはめたりすることで停まってしまいがちになるもの。自分としてはもう少し色々な局面も読めるようにしたいなといつも思うのです。とか考えていたのによく見たらこの本カバーにHistory of Violenceとか書いてあるじゃん!

というわけで、All Due respect Books第2弾『A Man Alone』でしたが、えー、この作品確かにADR Books第2弾であることは間違いないのですが、本年1月より開設したAll Due Respectの新サイトではこの作品はカタログ上に記載されていません。旧サイト(昔のウェブジン時代の作品も読めます)にはかろうじてカタログには載っているのですが、特に他の記事などもありません。以前からAll Due Respectの動向については比較的頻繁にチェックしていた私も、昨年末第1弾『you don't exist』について書いたときにやっとこの作品の存在に気付いたという感じでした。まあ推測されるのは出版後まもなくに何かもめて関係が悪化したというところでしょうが。私は内幕的なもめごとには果てしなく興味が無いので特にそれ以上の詮索をするつもりもありません。しかしそういう状況故現時点ではまだ販売中ですが、何かのタイミングで中止・カタログからの完全抹消という事態も考えられますので、気になった人はお早めに。まあ$0.99ですから。

作者David Siddallについては特に本人のサイトなども見つからず、あまり情報が無いのですが、ホラー、ファンタジー系のアンソロジーにいくつかの作品を発表し始めているイギリスの新進作家のようです。とりあえずまとまった1冊の本となるのはこれが最初となるようです。ADRとの間の事情は分かりませんが、その後少しこのジャンルへの進出が止まっている感じなのは気懸かりなところ。この作品もなかなかに完成度も高い力作ですし、あのケン・ブルーウンのレビューももらっているのだから、ぜひともこのジャンルでも頑張ってもらいたいものだと思います。

All Due Respectについては、本体アンソロジー『All Due Respect』もIssue 6まで発行され、ADR Booksの方も少し勢いが止まったかと思いきや、この4月、5月、6月は連続のリリースを果たしております。このジャンルのパブリッシャーとしては後発ですが、それほど数としては多くはないにしても英米では固定したファンを獲得し、定着しつつあるインディペンデント系e-Bookノワールのジャンルで、今最も勢いがあり、また新たな方向を模索しつつあるAll Due Respect。なかなか早くたくさんの本を読めないのは悩みの種ですが、なんとか常に特別枠を設けているつもりで、追いつくのは無理としても一つでも多く読んで追って行きたいものだと思っています。


All Due Respect

All Due Respect(旧)


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●All Due Respect Books


●All Due Respect



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2015年7月6日月曜日

Manhattan Projects [前編] -Jonathan Hickmanの怪作!とりあえずSF者は必読!-

現在『Avengers』などでマーベル・コミックの中心的存在のライター、ジョナサン・ヒックマンのImage Comicsからの作品です。有名な科学者、政治家などが数多く登場する歴史改変SF、とかいうのが分かりやすいジャンルかもしれませんが、個人的ジャンルとしてはとりあえず怪作!世間的に言って「怪作」というのがどういう評価に当たるのかはそれぞれでしょうが、私のような変人にとっては最大級の賛辞です。大体怪作などというのは何かのまぐれ当たりか本物の天才にしか作れるものではない。そしてこのヒックマン氏は紛れもなく後者です。

と、また威勢よく始めてしまったのですが、その前に色々と問題のありそうな点について、先に少し整理しておこうと思います。マンハッタン計画と言えば、ご存知の通り、第2次大戦中のアメリカ・イギリス・カナダによる原子爆弾開発計画の事であり、この作品はまさにそのプロジェクトから始まる物語です。しかし、この作品の主旨はその核兵器の恐怖、そしてそれが開発・製造されたことへの批判、というものとは別のところにあり、またそれがが使用されたことの正当化などというものではありません。この作品の主旨は、そのような特殊な状況下により世界最高の頭脳が一堂に集められたということにあり、そしてそれが架空の世界でいかに発展・暴走して行ったか、というのがこの『Manhattan Projects』のストーリーなのです。
などと言っても原爆投下というのは世界の歴史上でも有数の残虐行為であり、これはフィクションで架空の話だからそれはそれとして、などという軽い言い方で許されるものでもないと思います。しかし、上記のこの物語上の主旨となる設定というのは、一つの優れたストーリーを作り上げるチャンスであり、この作者ジョナサン・ヒックマンはそれを最大限に活用し、奇想天外な無視するにはあまりにも惜しい優れたストーリーを作り上げているのです。そして少なくとも私の見るところでは、この作者の核に対する考え方もいい加減なものとは思いません。この作品では原爆投下はまだストーリーが始まって間もない第3話で行われます。ルーズベルト大統領が死去し、トルーマン大統領が変わる空隙に、マンハッタン計画の責任者であるレズリー・グローヴス准将のほぼ独断により実行されるという形になっています。この作品上では少年時代からある種宗教的な偏った正義感を信奉するグローヴスが、トルーマンの制止をも無視し、作戦の遂行を命令します。そんなものは悪いに決まっていてそのような狂った思想の持ち主でなければできないことだろう、というのが作者の考えだと思うのですが、どうでしょうか。この「マンハッタン計画」では原子爆弾開発についてはそこで終わり、科学者たちは新たな計画に向かって進み始め、そこからこの物語のストーリーは始まります。
などと長々と説明を試みてきましたが、やはり納得いけない人には納得できないものなのでしょう。そして私はそのような考えを偏狭だとは思いません。人にはそれぞれ考え方、立場があり、大切にしているものがあるのですから。とりあえずはこいつの意見も聞いてみようか、と読んでいただけただけでも感謝します。なんとかこのような自分の拙い説明でこの作品が間違った先入観を持たれないようにと祈るばかりです。この後もお付き合いいただける人にはまた、要領を得ない長い前置きになってしまいましたが、それでは『Manhattan Projects』の始まりです!


Manhattan Projects 第1話
1942年米陸軍准将レズリー・グローヴスはロバート・オッペンハイマー博士と陸軍省にて会合を持つ。進行中のマンハッタン計画へ博士を責任者として迎え入れるためである。博士の計画への参加の意志は固い。グローヴスは博士の身辺で直近に起こった気懸かりな事態について遠回しに口にする。
 「最近の弟さんの身に起こった件については大変お気の毒に思っているのだが…。」
オッペンハイマーはきっぱりと言い放つ。
 「私は弟とは違います。」

  ロバート・オッペンハイマーは1904年4月23日に生を受ける。
  そしてその6分後、双子の弟であるジョセフ・オッペンハイマーが生を受ける。


グローヴスは早速博士を陸軍省内にある秘密研究所へと案内する。そこでは原子爆弾のみならず、異次元、AIなどの研究も進められていた。研究所内の一室では一人の男が閉じこもり、何かの構造物の前で考え込んでいる。あれはアインシュタイン博士のようだが…。

その時、研究所内に警報が鳴り響く。日本帝国軍の攻撃だ!

  双子のオッペンハイマー兄弟はともに天才だった。
  しかし、成長するにつれそれぞれの興味の方向は別れて行く。
  ロバートがまず興味を持ったのは鉱物学だった。
  そして彼はその知識の対象を広げつつハーバードに進み、
  やがて化学・物理学の道を歩んで行く。
  一方ジョセフの興味の対象となったのは生物学だった。
  兄と同じく飽くことのない知識への欲求に突き動かされ、
  彼は生物の構造を知るため解剖実験を重ねて行く。
  だが、その研究は陰惨な結末を迎える。
  ジョセフは15人に及ぶ殺人の罪で逮捕され、
  精神病犯罪者施設に拘禁されることとなる。
  逮捕の際、ジョセフは謎の言葉を呟く。
  「私は世界の半分の暗黒側だ。」


迎撃準備を急ぐ陸軍省の上空に日本帝国軍の日の丸砲弾が飛来する。研究所の階層を突き抜けた砲弾の着弾点に赤い鳥居が立ち上がる。
 「あれは死の僧侶の禅パワーによって操作される赤鳥居!」
鳥居の中央からは本田宗一郎の設計による戦国武者を模したカミカゼ・キリング・マシンが溢れ出して来る。たちまち陰惨な戦場と化す研究所。オッペンハイマーも機関銃を操作し、敵に撃ちこんで行く。

この攻撃を予測し、あらかじめ対策を考えていたグローヴスの勝利だった。用意していた米側の強力なテレパスがゲートの閉鎖を阻止し、こちら側から送り込んだ兵士により死の僧侶を捕獲し、赤鳥居そのものを奪取したのだった。
混沌を極めた戦場跡で、まだ動き続けるロボットを踏みにじるオッペンハイマー。
 「それはもう死んでいますよ。」
 「始めから生きていなかったものに死はない!」
そんなオッペンハイマーの様子を見てグローヴスは微笑みを浮かべる。
 「我々は今後良い関係が築けて行けそうですな。」

  研究は成功を修めロバートは新たな発見を遂げる。
  マンハッタン計画からの招聘を受け最良の日を迎えるロバート。
  だが、悲報はその直後に届く。
  施設を脱走したジョセフ。
  盗難車で逃走中、橋から転落し、その死体が見つかる見込みは薄い…。
  一転して悲嘆にくれるロバート。

  だが、ドアを開けた時そこに立っていたのはジョセフだった。
  生きていたのか…。
  そしてジョセフはロバートの胸にナイフを突き立てる。

  薄れゆく意識の中、ロバートはジョセフのささやきを聞く。
  「世界を一つにするのだ。」

  そしてジョセフは兄を完全に自らに取り込む。
  肉体を。
  そして魂を。
  彼は兄を愛している。
  それができない理由はない。

  そして、双子の光と闇との戦争が勃発する。
  その闘争の中、オッペンハイマーは無限に砕け、分裂して行く…。


「私は弟とは違います。」

  そう、彼はもはやそれ以上の者だ。
  ようこそ、ワールドブレーカー。
  ようこそ、トリックスター。
  ようこそ、虚言者。
  ようこそ、破壊者。


「ようこそ、オッペンハイマー博士。」

  ようこそ、マンハッタン計画へ!


第1話からこの展開!これがジョナサン・ヒックマンの『Manhattan Projects』です。たぶん上記の世界最高の頭脳を一堂に集めた、というところからの着想という見方は間違ってないと思うのですが、それがこの天才の頭からアウトプットされてくるとこんな形になるとは。さてこの物語、これからどんな展開になって行くのか!?

第2話ではドイツの科学者で、のちにアメリカの宇宙開発に深く関わってくるヴェルナー・フォン・ブラウンが恐るべきロボット義手を装着した姿で、同僚ドイツ人科学者をすべて毒殺し、ナチスの科学成果を独り占めにした形で連合軍に投降し、マンハッタン計画に参加してきます。
そして第3話で原爆投下。ちょっとくどいようですが付け加えると、この『Manhattan Projects』はこの後から始めてもよかったわけなのですよね。やはりアメリカにおいてもいくらか物議を醸す可能性もあるだろうこの事を曖昧に避けたりせず、きちんと書いてから始めたところに作者の誠実さが見られると思うのですが。そのあまりのぶっ飛んだ発想などから見えにくかったりもするのですが、このジョナサン・ヒックマンという人物、知性も常識もある、誠実な作家だと私は思います。

そして、その先に続く話。アインシュタインが研究所内で取り組んでいた装置は空間のみならず、別次元への移動をも可能にする扉だった。夢でそれを見た天才アインシュタインは、その装置を組み上げ作動させることに成功する。しかし、このアインシュタイン博士も我々の知っているその人ではありません。
地球人類はすでに異星人との遭遇を果たしていた。オッペンハイマーはニューメキシコ州ロズウェルで行われる毎年の異星人との会合にグローヴスとともに向かう。だがそこに現れたのはグレイではなく彼らを征服した敵意を持った異星人だった。返り討ちにした異星人の死体を摂取して得たオッペンハイマーの情報を基に、マンハッタン計画メンバーはアインシュタインの異次元ゲートを使った秘密作戦を考案する。

登場する他のキャラクターとしては、死の直前すべての記憶をダウンロードし、AIとして蘇るルーズベルト。後に量子電磁力学の発展に貢献する若き日のリチャード・ファインマンは異次元ゲート以降アインシュタインとともに研究を続けます。マンハッタン計画中の事故で大量の放射能にさらされ、放射能人間となったハリー・ダフリアンと、その親友でノーベル賞受賞者で巨大なモンスターに変身できるエンリコ・フェルミなど。

そして続く2巻では宇宙からの脅威を知った科学者たちによるソ連の科学者たちと秘密裏に手を結ぼうという動きに、それを許さないトルーマンら旧支配勢力が襲い掛かります。

この作品のテーマはそのバックカバーに常に明確に大きい文字で記されています。

 SCIENCE.
 BAD.

BAD SCIENCEでも、ましてやSCIENS is BADなどというものでもありません。科学。そして、悪。この作品に登場する科学者は基本、すべて悪人です。その目的がいかに崇高なものに見えても、彼らに善の心はありません。しかし彼らがいかに悪人でもその目標とする到達点は崇高なものでもあるわけなのですよね。さて、この正真正銘の奇想による怪作『Manhattan Projects』、今後いかなる驚愕の展開を見せてくれるのでしょうか。

…というところで[前編]が終わってしまうのですが、次回[後編]ではなくまたしばらく先の話しとなってしまいます。すみません。実はこの『Manhattan Projects』、TPB2巻が出たころに読み始めていたのですが、まず1巻を読んでこれはスゴイ!コレ絶対読まなきゃ!とただちに2巻も購入したものの、そこで自分内備え付けのお馴染み貧乏性動力によるサーモスタットが稼働してしまい、3巻が出るまでしばらくかかるからすぐに続きが読めない…と一時的に冷却されストックされているうちにまたいろいろと目移りしてしまい…という事態になっていたのでした。現在アメリカン・コミックの中心にいて次々と話題作を発表しているヒックマンですから、常に目には入っていたものの一旦ストップするとなかなか再スタートができなくなっていたのですが、最近この『Manhattan Projects』が完結し、新章スタートのニュースを聞き、これはいかん、と2巻を遅ればせながら手に取った次第。まあ、当然ながら読んでみればこれはスゴイ!コレ絶対書かなきゃ!と、とりあえずの[前編]となったわけなのでした。
前述の通り、この『Manhattan Projects』は昨年11月に全25号TPB5巻で完結し、本年3月より『The Manhattan Projects : The Sun Beyoud the Stars』が開始されております。現在は私も全5巻まできちんと入手し、モタモタと続きを読んではうひゃーとひっくり返っているところですが、今度は中断などなく、なるべく早い機会に[後編]を掲載できるように頑張ります。

さて今回はタイトルにも謳った通りSF者必読の作品です。これを読んで絶対に読まなきゃ!と思わなかったらSF者じゃない!…というか私の力不足ですね、すみません。アメコミファンならいざ知らず、日本にも多く存在するSF者の皆さんにはこの作品の存在すら広まっていないのではないかと思い今回は強調してみました。しかしSF者なんてここに来たことある人いるのだろうか?何かの誘引物質を察知・追跡し、ここにたどり着いてくれるSF者が一人でも多く存在することを期待します。あっ、せっかく来たならSFで、このブログを始めたころに書いたAl Ewingの『Tomes of the Dead : I, Zombie』というのが個人的に激しくおススメですので、ついでにちょっとのぞいてみてってくださいね。

ちょっと先回りしすぎた余計な心配かもしれませんが、この作品がなるべく多くの人に読まれる事を望むばかりの私ですが、読む人が増えると一方で近年特によく見かける気がする安直な「笑った」感想が乱発されるのではないかと少し気懸かりです。この作品には確かに「笑える」ところがたくさんあります。ランニング姿で身体に弾帯を巻き付け腰だめでマシンガンを撃つアインシュタインなんて明らかに「笑わせて」いるものもあります。ただ「笑った」部分をピックアップしているのではなく、そういう書き方をすることによって作品をもう一層高いところから俯瞰しているように考える人もいるでしょう。人にはそれぞれ意見や考え方はあるでしょうが、この作品のように少し微妙な問題も含んでいる作品になると、ただ「○○に笑った」などという形で投げ出された感想が余計な誤解のもととなり作品の価値を偏向させることにもなりかねないと思います。読んでとにかく何か言いたいのだけど適当な語句が浮かばない、というケースもあるでしょう。でもくれぐれも安直な「笑った」感想を投げるのだけはやめてもらいたいと願います。

最後に、とりあえず[後編]の予定もありますので作者については少しだけ。ジョナサン・ヒックマンは2007年に作画も自ら担当した『The Nightly News』でImage Comicsからデビュー。タイポグラフィーなども駆使した作品で、色々書きたいところもあるのですが、今回は余力が無いので[後編]か、また別の機会に。この作品の中でも多用されているサークルとラインの組み合わせを中心としたデザインはその後のImage Comicsからのブックデザインなどでも一貫して使われていて、他の作家のコミックのカバーをデザインしたということもウィキペディアにも書かれていたのでデザイナー出身なのだろうかと思ったのですが、その辺についての資料はまだ見つけられませんでした。[後編]までにもう少し調べてみます。『Avengers』における同心円状の編成図も直接本人の手によるものではなくても明らかにコンセプトはこの人のものです。その後はライターとしてImage Comicsでミニシリーズ規模のSF作品などを継続的に刊行しつつ、マーベルでもライターとしての仕事が始まります。2009年からの『Fantastic Four』と2011年からのそれと表裏の関係で対をなす(という解釈でいいのかな?)『FF』が代表的なところでしょう。2012年からはこの『Manhattan Projects』が開始。同2012年からの『Avengers』、2013年からの『New Avengers』の両作品は次のリランチに向けて今年4月に終了し、次の動向が注目されるところ。またそれらの作品と並行し、Image Comicsでは2013年から異色ウェスタン『East of West』が進行中。例によって必ず読むと決めてる作品なので内容については一切調べていないのですが、彼の作品ゆえ「異色」であることは間違いないと思います。また今年になってからは同Imageから『The Dying and the Dead』という新シリーズも始まり、また個人的に注目度大のAvatar Pressからの『God is Dead』(最初の6号のみ)という作品もありと、とても目が離せない、というかこんなに目を離していて大変申し訳なかったとしか言いようのない、現在要注目度最大級のライターです。
作画のNick Pitarraはヒックマンとは以前『Red Wing』(Image)という作品を共作していて、ユーモアとグロテスクのボーダーラインを巧みに操る魅力的なアーティストです。まさしくこの奇想を表現するのに最適の画です。
カラーリストはCris Peterで、もちろん作業はこの人なのでしょうが、この作品の独特のコンセプチュアルなカラーリングがこの人個人のセンスなのか、Pitarraによるものなのか、更には前述の通りデザイナーとしての能力も高いヒックマンの考えによるものなのかについてはちょっとまだわかりません。[後編]までにはその辺りももう少し調査してみるつもりです。


そして最後にもうひとネタ。『Manhattan Projects』のTPBには最後に本人による自己紹介が掲載されていて、その中にこんな一文が。

彼の双子の兄弟、マークは2012年のオリンピックでフェンシングで金メダルを受賞した。

果たしてこのヒックマンとは何者なのか?まあ一筋縄ではいかない人物であるのは確かですね。


Jonathan Hickman
■Image Comics
●Manhattan Projects


●East of West


●Image Comicsその他


■Marvel
●Fantastic Four


●FF


●Avengers


●New Avengers


■Avatar Press


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