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2016年5月3日火曜日

Matthew Stokoe / High Life -ジャック・テイラー推薦図書!-

いやー、ジャックさん、これ読んだよー。スゲーや。教えてくれてありがとう!え?どこのジャックさんかって?そりゃあもちろん、あのジャック・テイラーさんですよ!
このMatthew Stokoe作『High Life』は、シリーズ第4作『The Dramatist』の中でジャックさんが刑務所に面会に行ったダブリンからの帰りの列車で、例の如く事件の事もすっかり忘れ、ほとんど外の景色も見ず夢中で読んでいた作品です。そしてジャックさんの感想はと言うと、ヘロイン・チャンドラー、クラック・ハメット、ジェームズ・M・ケインにブロートーチ、ジム・トンプスンはこれに殺され、ジェイムズ・エルロイの後を継ぐのはこいつだ、というもの。えー、そんなにすごいのー?じゃあなるべく早く読むよー。えーと、アレとアレとアレを読んだら…。というわけでやっと読んだのがこの作品です。


【あらすじ】

俺はKarenを探してL.A.中を車で走り回る。
サンタ・モニカ。センチュリー・シティ。ビバリー・ヒルズ。ハリウッド・ブールバード。
どこにも彼女の姿は無い…。

そして、最初のオーシャン・アベニューの公園に戻る。
パトカーが集まり、人だかりができている。
俺は公園の闇の中を回り込み、ブルーシートに囲われた中を覗く。

そこにKarenは横たわっていた。
全裸で、腹部を大きく切り開かれ、内臓を抜き出されて…。

Karenと初めて会ったとき、彼女は住むところもないジャンキーの娼婦だった。
俺は彼女に寝床を貸してやり、一緒に暮らすようになり、そして結婚した。
だがそれも長くは続かなかった。
彼女はまた街に出るようになり、また客を取り始めた。そして家に帰らない日も多くなった。

しばらくぶりに戻ってきた彼女はやつれ、大金を持っていた。客の医者に腎臓を売り、その金で俺に車を買ったと言った。そして、またいつものように言い争いになり、彼女は出て行った。
それが生きているKarenを見た最後だった…。


そして、主人公Jackieの前にKarenの客だったダーティーな暴力刑事Ryanが現れる。まともな捜査も行われていない娼婦の殺人事件を彼一人が執着し、追い続け、Jackieに付きまとうようになる。
無気力になり、仕事も捨て、部屋にこもりTVでスターのゴシップ番組を観ながら酒と鎮痛剤に溺れるJackie。
やがて金も尽き、街に出た彼は、Karenを通じて知り合った唯一気の合う友人Rexに誘われ、金持ち相手の異常なセックスの相手を務める仕事を始める。
そして、L.A.の暗黒に深く潜り込むにつれ、彼はKarenの死の真相にも近づき始める…。

すさまじい作品です。ジャックさんの感想に付け加えると、恐るべきエロ地獄である。もはや「実用的」などというものではなく、多くの人は途中で投げ出したくなるのでは、というぐらいのものを読む覚悟が必要。
物語は全編を通し、主人公Jackieの一人称で語られます。彼は大金持ちのスターになることを夢見て田舎からL.A.にやってきて、挫折し、ドーナツショップで働く青年。ハリウッドスターの豪華な生活に憧れ、毎日芸能ゴシップ番組を観続ける人物。しかし、実はこの主人公のパーソナリティーは極めて希薄で、Jackieという名前も他者からの会話の中に出てくるだけで、下の名前は明かされません。そしてこの人物はどこかが歪んでいます。それはあちこちの場面で、最初は小さな違和感として感じられるものですが、それが次第に蓄積され、読んでいる者にこの人物は自分と全く異質な人間なのではないかとの疑惑を膨らませ、最終的には恐るべき怪物として現れます。そして、あのジム・トンプスンの『俺の中の殺し屋』『ポップ1280』のように、読む者はその完全に狂った人物の目を通してのみ、この物語を読むことになります。そしてそれらの作品の主人公たちと同様に、このJackieも周囲からも、そして自分自身からすらも、その他者とは全く異質な狂気の存在を認識されず、普通の人間として暮らしています。そしてこのジム・トンプスン的主人公が深く沈んで行くL.A.の闇は、ジェイムズ・エルロイの作品に現れるような底の無い血みどろの暗黒なのです。
あんまりはっきりしたところは分からないのだけど、少なくともネオ・ハードボイルド以降では舞台となっている街というのは主人公にとっての「わが街」という感じになっていて、何となくそれを当然のように思っていたりもしたのだけど、ハメットやチャンドラーの「街」というのは、そこに悪や敵が潜んでいるというのとは関係なく、そこに住む者をも何か圧迫するような潜在的な敵意を持ったものだったと思う。この作品に登場する、Jackieの眼から見たL.A.はそんな「街」なのである。これがジャックさんの言ってた意味と同じであるのかはあまり自信はないのだけど、とても自力ではハメット、チャンドラーは出てこなかったと思うので、やっぱジャック・テイラー=ケン・ブルーウンの眼力はさすがだ、と感服したのでした。ちなみに作者Matthew Stokoeは影響を受けた作家のひとりとして、レイモンド・チャンドラーを挙げています。あと、J・M・ケイン感に関してはそれが一番高まるのは後半のストーリーだったりするので、ここではスゴイぞ、とだけ言っておきます。
何となく、ちょっと読む人を選ぶ、とか惰弱なことを書きそうになったりもしていたのだけど、そんなことではいかんのだ。途中で読むのが嫌になったのならそこで単なる敗北!これは必読の現代ノワールの大傑作なのです!

ここでノワールについて少し。別にそれが間違ってるとか言うつもりではないけど、私はノワールというのをあんまり映画と絡めて語るのには賛成しません。なーんかちょっと気になって少し調べてみると、ノワールって何?というような疑問を持つ人に対する答えがフィルム・ノワール的な小説みたいになってる傾向が見られたりするのですよね。でもそもそも小説のノワールってジャンルは少なくとも日本ではそれほど古い物でなく、割と最近で、トンプスンとかエルロイとかハードボイルドからはみ出しちゃってるよーなのはノワールってジャンルになりました、みたいな感じで始まったはずです。で、そのトンプスンやエルロイの作品がより原作に近い形で映画化されたようなものに限って映画しか見ない人にはまるで出来が悪いみたいに言われてるというような現状があるわけですよね。そもそもノワールなんて定義が難しく、例えばそのトンプスンとエルロイの作品を比べても、主人公の狂気だったり破滅に向かうストーリーだったりという共通点はあっても、一見すれば全然タイプの違う作家なのです。大体、ハードボイルドっていうのも定義は曖昧だったりするわけで。そんなところでテストの答案用紙に書けるような明確な答えがあると思い込んでる人たちの中で上のような解釈が蔓延していると、今に最もノワール的である作家の方が異端扱いされるようになるのではないかと危惧するわけなのです。そのうち「ファム・ファタールも見当たらないこの作品がノワールに相当するとは思えない」なんて知ったかぶりを真顔で言うやつ出てくるんじゃないの?ファム・ファタール?んなもん只のオプションの一つだよ!しまいには本格・通俗なんてのが始まったりしてさ。あーやだやだ。
そもそもがジャンルなんてものがいい加減なもので、例えば私もドゥエイン・スウィアジンスキーをノワール、ハードボイルドってジャンルに入れてるけど、実際の感覚としてはあんまりうまくその曖昧な定義というか雰囲気的なものにも合わなくて、本当のところはドゥエイン・スウィアジンスキーっていうジャンルとしか言いようが無かったりもするわけです。優れた作家ほど一人でその個人ジャンル、というのが本質ではないでしょうか。で、ジャンルというのが何のためにあるかというと読書ガイドみたいなものです。研究家とか学者なんて人の事カンケーないよ。この本が面白かったからおんなじジャンルのを読んでみようとか、ハードボイルドが面白かったから、近いらしいノワールっていうのを読んでみようとかいう使い方をすればいいわけ。スウィアジンスキーはそういうのが好きな人が読んだら絶対面白いから、ノワール、ハードボイルドでいいんだよっ。だからこっちとしてはもうそういう人が読んだら面白いと思うものはどんどん入れて行きます。手始めに、原理主義者の人たちは排除しているようだけど、悪党パーカーとエルモア・レナードはノワールに入れました!これなんてこの前見たアメリカのノワールのWikiで入ってるから文句ないよね。これからももっとどんどん放り込んでとことんカオスを目指すのだよ。
つい先日、4月のはじめ頃、現代最高のノワール作家のひとりであるAnthony Neil Smith氏の、ブログが終了しました。3月、待望のBilly Lafitteシリーズ第4作『Holy Death』が発売。しかし、当然そうあるべきのAmazon.comノワール部門1位になることもなく、そして月末そのブログに、これまでの彼の作家生活、そして今度こそ大舞台へ上がれるとの期待への落胆、”みんなはBilly Lafitteを支持してくれたんじゃないのか?”との叫びを綴った文が上げられました。数日後、エイプリルフール、Billy Lafitteが誰にも顧みられることなく拳銃で自殺するという彼の最期を描いた「The Scars of Billy Lafitte」という文章が上げられ、更にその数日後、ブログをやめることが告げられ、同時にもうBilly Lafitteの続きを書くつもりはないことも告げられました。そして、しばらくの後、そのURLには何もなくなりました。だからどうしたって?そんな思いを抱えた売れない作家が何億人いようがカンケーない!Anthony Neil Smithは現代最高のノワール作家だからだ!ジム・トンプスンに「ノワールの巨匠」なんてコピーをしれってつけてるような連中なんて結局はどっかの権威がお墨付きを付けるまで目の前にジム・トンプスンが転がってても認めない奴等じゃない。幸い、Smithさんは大学の職もあり、トンプスンとは事情も違うかもしれない。だからと言ってSmithさんに死の床で「Billy Lafitteはあと10年ぐらいしたら評価されるぞ」なんて言わせるわけにはいかないんだよ!4月にその様子を目の当たりにして、今すぐ未読のLafitte第3作『The Baddest Ass』を読んでこのことを書こうかと一瞬考えました。でもそれって違う。私はこのシリーズを本当に愛しているのだから、そんな気分であわてて読んだりするのは間違っているのですよ。いずれ自分の中の順番が来たらニコニコ楽しく読んで心から絶賛するべきなのだよ。こいつこそが本物なのだ。だからそんな温くて分かりやすい解釈が蔓延して、本物が排除されるようなことは断じて許せないのだ。だから、こんなところで誰も読んでくれなくったって何度でも言うのだ。

ノワール小説というのは断じてフィルムノワールっぽい小説の事なんかではない!

ちょっとわかりにくくなってしまったのかもしれないけど、要するに私の言いたいのは、なんかジャンル分けを厳しくしてあんまり物が無い一方で外からの解釈が違う方向へシフトしてしまうなんてことより、沢山あってカオスでもちゃんと本物を見つけられる状況の方が好ましいってことです。そう思いません?それにしても新しいものについて語るつもりもないのにうるさいおじさんって迷惑千万じゃない?

…少しとか言ったのに結局こっちの方が長くなってるじゃない…。相変わらずの暴言ではありますが、少しは柔らかめに書いたつもりなのだけど…。まあいいか…。
ここで最後に今回の作品の作者Matthew Stokoeについて。1963年イギリス、サウスロンドン生まれで、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカなどで暮らし、現在はオーストラリア、シドニーに在住。1998年に『Cow』でデビュー。第2作が2002年のこの『High Life』、第3作が2010年の『Empty Mile』。例によっていずれ読むので内容は一切調べていませんが、『Empty Mile』はクラシック・ノワールとしてマイクル・コナリーにも高く評価されています。以上3作はいずれもあの都市ノワールシリーズのAkashicから発行されているのですが、続く2014年の第4作『Colony of Whores』は現在のところ英語圏での版元が見つかっておらず、フランスGallimard社からのフランス語版のみが発行されています。パブリッシャー探しのためしばらく一部ホームページ上で公開されていたのだけど、間に合わず読むことはできませんでした。やっぱり時代に先行する本物はいつの時代も不遇なのだよ。だからこんな奴でも一人でも多く応援していかなければいけないのだ。本当に素晴らしい真のノワールの傑作です!ジャックさん教えてくれて本当にありがとう!ジャックさんの次の本もなるべく早く読むからね。えーと、アレとアレとアレを読んだら…。

Matthew Stokoeホームページ


【おまけ】

実は昔からずっとから読みたかったジョー・R・ランズデール、ハップ&レナードの未訳の第1作『Savage Season』をやっと読んだのでそれについて書こうかと思っていたのだけど、調べたらアメリカではもう放送始まっているTVシリーズの原作のストーリーで、もしかしたら翻訳も出るかもしれないし、色々読んでいる人もいるようで、もっとちゃんとした解説のも見つかったり、果ては誰か(プロの翻訳家の人らしい)が勝手に全部訳しちゃったのも見つかったりで、まあ色々遅れてる他に誰も書いてくれなさそうなのもあるしいいか、と思ってやめたのですが、書こうと思っていた最新情報だけでも誰かの役に立つかもしれないのでやっておきます。とりあえず、自分の感想としては、そりゃ面白いに決まってる。ハプレナ嫌いな人なんて一切友達になれんよ!(女子は除く)
ちなみに解説の方は翻訳ミステリー大賞シンジケートのサイトの、翻訳家三角和代さんのものが分かりやすいかと思います。下のリンクから。なぜこの第1作が翻訳されなかったかも教えてくれてます。あと全訳の方はちょっといいのかなあ、という感じではあるので自分で探してみてください。「残酷な季節 翻訳」あたりで検索してみるといいかと。

翻訳ミステリー大賞シンジケート/原書レビュー 第27回

それではハプレナ最新情報について。以前にもちらっと書いたけど、久々のシリーズ第9作長編『Honky Tonk Samurai』がMalholland Booksから今年出版されました。ランズデール氏のホームページのリストでは来年『Rusty Puppy』という作品も予定されており、それもMalhollandから出るものと思われます。少し前から9作目として予告されていた『Blue to the Bone』という作品があったのですが、それについてはちょっと事情は分からないけど10年ぐらい先に出るとか書いてあります。また、Vintage Crime/Black LizardからのKindle版はあまり値引きが無く割高な感じであまり手を出す気になれなかったのですが、8作目まではMalhollandから、この秋からもう少しお手頃な価格で販売が始まるようです。(第6作を除く。理由は不明)今のところ予約価格で900円ぐらいだけど1000円ぐらいになるのかな。少しよく調べてみたところ、これはMalholland UKからの発売のようです。最新作についてはKindle版は未発売。またアメリカ国内だけでは出てるかも。現在のところ未訳の7作『Vanilla Ride』、8作『Devil Red』まではVintage Crime/Black Lizardから発売中です。
そして3月にTachyon Publicationsから発売されたのがこちらの『Hap and Leonard』。こちらは以前Subterranean Pressから限定版で発売され入手困難となっていた"Veil's Visit","Hyenas","Dead Aim"の3中編を含む中短篇集です。シリーズとは別のパブリッシャーで、手頃な感じで、案外これ辺りがどこかから翻訳が出る可能性が高いかも。私も次のハプレナはこれを読もうかなと思っています。こちらのKindle版は『Hap and Leonard Ride Again』というタイトルで少し内容が違っているようです。が、残念ながらこちら日本のアマゾンでは販売されておりません。しかし、どうしてもという人はTachyonのショップから直接購入は可能なようです。Paypalも使えます。その他、こちらに収録されていない中編で、昨年KIndleでGere Donovan Pressから発売された『Briar Patch Boogie』もあります。
と、こんなところか。あちらではTVシリーズで盛り上がってずいぶん動きもあるようで、またこれからが楽しみです。Malhollandも勢いがあるしね。とりあえずはこれがきっかけで日本でもまた翻訳が再開されるといいのですがね。

ジョー・R・ランズデールホームページ

Tachyon Publications



●Matthew Stokoe


●Anthony Neil Smith/Billy Lafitte


●ジョー・R・ランズデール/ハップ&レナード



■Malholland版Kindle


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