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2017年5月28日日曜日

Black Summer -Warren Ellisのアンチ・ヒーロー作!で?アンチ・ヒーローって何?-

予告いたしました通り、前々回に引き続きウォーレン・エリス作品、『Black Summer』です。2007年から2008年にかけて、第0号から7号までの計8号でAvatar Pressより発行。作画はスペイン出身のアーティストJuan Jose Ryp。ジャンルとしてはアンチ・ヒーロー物というところでしょうか。とりあえずはまずそのあらすじから。

【あらすじ】
Seven Guns。彼らはかつて大学で出会い、天才的な理工系学生のTom Noirを中心に、それぞれ様々にテクノロジーで強化された能力を使い、不正と闘うべく結成されたヒーロー・チームだった。しかし、過去に起こったある事件の最中、爆発に巻き込まれ、彼らの技術的なサポートをしていたFrank Blacksmith、そしてTomの恋人でメンバーの一人だったLauraが死亡。Tomも片足を失い、活動からは身を引き、チームは事実上空中分解の状態にあった。

チームを離れた後、絶望し酒浸りの荒んだ生活を送るTom。30歳の誕生日を孤独に迎え、TVをつけた彼の目に信じ難いニュースが飛び込んでくる。
Seven Gunsの一人、攻撃と防御を兼ねた眼球型の兵器を身体の周囲にまとう無敵の男John Hoursがホワイトハウスに乗り込み、合衆国大統領を殺害したというのだ。
そして、血みどろのままTVカメラの前に現れたJohnはこう告げる。この国の不正をただすために大統領を処刑した。自分はこの国の正義を守るため、いつでも戦う用意がある。この国に真の自由を取り戻すため、自由選挙を実行せよ。

TVの前で驚愕するTom。だが俺にはもう関係のないことだ。俺はもうヒーローなんかじゃない。そしていつものように酔いつぶれる。

ドアベルの音に目を覚ますTom。嫌々ながら玄関に向かい、ドアを開けると、そこにいたのは死んだはずのFrank Blacksmithだった…。


こうしてこの物語は始まる。
Seven Gunsの後のメンバーは、超高速の移動能力を持つZoe、飛行能力のAngela、重量級のバイクにまたがり強力な銃を操るKathryn、と女性が3人続き、最後にもう一人の男性メンバー、強靭な肉体と怪力が武器のDominic。彼らはJohnと話し合い真意を問う余裕もなく、大統領殺害の犯人に連なる社会の敵とみなされ、降りかかる火の粉を払うべく血みどろの戦いに巻き込まれて行く。
そして死亡したと思われていたFrank Blacksmith。実は彼は自らの死を偽装し、政府機関にその技術とともに寝返り、密かに研究を続けていた。そして今、新たに開発した超人軍団を率い、Seven Gunsの最大の敵として彼らの前に立ちはだかるのだった。

物語のところどころに、そこだけは白黒の画でまだヒーローになる前のそれぞれの過去が断片的に描かれます。理想に燃え、社会の不正に憤る若き日の彼ら。しかし、彼らがヒーローとして戦った日々のことは一度も具体的には描かれず、現在社会の敵として追われ、容赦ない反撃で血みどろの戦いを繰り広げる彼らの姿のみが描かれ、その過去と対比されます。
そして物語の終盤、ある人物により、ヒーロー・チームとしてのSeven Gunsの闘いとは何だったのかが語られます。不正をただすため、法を超えてヴィジランテとして戦うということは、結局はその不正を行うものと同じ立場に立ち、そこで戦わなければならないということ。そして、John Hoursはそれに耐えられなかった。彼はその理想と、そこからくる弱さゆえに上からすべて壊せば新たに正義が実現されるという考えにすがったのだと。
これはヒーローという形で世の中の不正と直接力で戦うという方法で社会の変革を目指し、そして破滅していった者たちの悲劇の物語。しかし、それは本当にただの青臭い理想で間違っていたのか?物語の最後にはほんのかすかではあるけど、希望も語られる。そこもちゃんと見逃すなかれ。

ウォーレン・エリスという作家について語るにはまだまだだとは思うけど、この作品と『Transmetropolitan』を読んで感じるのは、ひとつメッセージ性を持ったテーマを中心にストーリーを組み立てるのが巧みな作家だということ。2007年から書かれたこの物語には、もちろん9.11後の正義についての考えも描かれている。若者の理想と現実とのギャップからもたらされる挫折と破滅。ヒーローとしての活躍が一切描かれず、あたかもそんなものはなかったように語られる物語をヒーロー・コミックへの否定と解釈する人もいるかもしれない。しかしである。そーやってメッセージらしきものを読み解くってことが本当に重要なんかい?エリスは現代に生きる作家であり、もちろん社会の動きを自分なりの目で見、それなりの考えも持っていてそれは必然的に作品に反映されるものであろう。しかし、もしかしたらエリスにとってはそんなものほとんどがこの物語を組み立てるための道具でしかないのかもしれない。これは非常識なまでに力を拡大させた超人が生身で兵器とぶつかり、莫大な破壊をもたらし、そして同様に強化された敵と身体を引きちぎるような戦いを繰り広げるすさまじい物語である。私はその土台となるもの、エリスがこの物語を組み立てるために打ち立ててテーマというものが重要でないと言ってるわけではない。しかしこれはコミックという形で作られた物語である。それを、更には物語そのものをも道具としかみなさず、セリフを引用するような形でメッセージらしきものを読み解こうとするようなやり方では決してこの作品を、そしてあらゆる物語という形で作られたものを理解することなんてできないのである。「これは○○というテーマの話である」、「これは○○ということを表現している」と大抵はテストの回答欄に書くようなシンプルで明快で単純な答えを得ることで「理解」しようとしてしまう。しかし、その「○○」というテーマと、兵士の身体を貫通し手足を引き裂くすさまじい銃弾は常に等価にある。そのすさまじい戦闘シーンはそのテーマを語るための手段であるのと同時に、そのテーマと見えるものはそのすさまじい場面を描くための道具でもあるのだ。「物語」とは多分それ自体が力を持った生き物みたいなもんである。人はそのなんで存在してるのかもわからず、わけのわからない力で目的も理解できぬまま自分の心を引き付けて行ってしまうものに、何とかわかりやすい解釈をつけて征服したみたいな気分にならんと不安なのだろうね。
んむむむ、難しいっす。結局は感覚的にはそういうやり方じゃダメだ、って見えてるのだけど、やっぱり説明すると何かメッセージ性の強いテーマを扱った描かれてる作品だけに、どうしてもそっちに流れる形で説明しようとして、おめー、それじゃダメなんだよっ、て感じの結局は別に笑える要素とかはないノリツッコミってところでしょうか。うーん、まだまだウォーレン・エリスという作家の輪郭をつかむまでの道のりも遠し…。

そして、この圧倒的な「物語」の力の半分をなすというべきものはもちろん画の力である。スペイン出身のアーティストJuan Jose Ryp。まずはこちらの画をご覧いただきたい。


例えば身近に好みのタイプの女性がいて、ずっときれいな人だなと思っていても実際に恋心を抱いてしまうにはあるきっかけとなる瞬間があるものです。私がこのJuan Jose Rypの画に、うわっ、やられた!とメロメロになってしまったのがまさにこの画なのであります!結構太めの線を使いながらのかなり細かい描き込みというある種矛盾したようなスタイルの画は最初から気に入っていたのだけど、第2号6ページのこの画を見たときには完全にやられた。スゴイ!セオリーをねじ伏せる恐るべき力業!市街地のビルの間の空を飛翔する巨乳美女Angela。その背景はかなり書き込まれたビル群。おおよそ日本でも英米でもカラーの使用という違いはあっても事情は変わらないと思うのだけど、普通はこんな画を作らない。日本において多く使われる手法としては人物と背景の間に細い空間を空ける。単純に手前の人物を中心に画全体を見やすくするためだけど、例えば映画などでも手前の人物にピントを合わせ、背景を少しぼかすというのと同じ理由で理にかなっているわけです。もしくは根本的に人物と背景の被らない構図を選ぶ。しかしこの画ではJuan Jose Rypはむしろ意図的に巨乳美女と背景のビルが重なる構図を選び、しかも巨乳の方が若干線は太いが背景の描き込まれたビルの線と完全にくっついてる。しかし!多少見難かろうがこの画は圧倒的に格好いい!これほど力強く格好良く飛翔する乳は見たことがない!飛んでる乳も背景のビルも画の中では同じぐらい重要だからこう描いたんだよ、文句あるか?と言わんばかりの画である。こんな画を見せられては惚れずにはいられまい!スゴイぞJuan Jose Ryp!この作品の中ではこの乳以外にも、恐ろしく描き込まれた破片による破壊描写や異様なエネルギー放射、血みどろの人体破壊などかなり見るべき素晴らしい画は多い。いやむしろそっちを出すべきなんだろうが、私としてはこのJuan Jose Rypさんにぞっこんになってしまったこの画をあえて選ばせてもらいました。あとのスゴイ画はそれそれの目で目撃すべし!現在では私の中ではJuan Jose Rypは、あの英2000ADのバイオレンス画の達人にして気さくなマジック兄ちゃんLeigh Gallagherと並ぶポジションとして行く末を見守るべき重要アーティストとなっております。と言いつつなかなかその後を追えていなかったりするのは毎度のことなのですが、改めてJuan Jose Rypのキャリアについて書きますと、ちょっとスペイン時代のことはわからないのですが、2002年ごろからアメリカではAvatar Pressで活動をはじめ、やはりこの『Black Summer』が多くの目を引いたのか2010年頃からはマーベル、DCの仕事も多く手掛けるようになります。その後Image Comicsのロバート・カークマンのSkyboundからDavid Schulnerとの『Clone』などを経て、現在はValiant作品なども手掛けているようです。ちょっと今回は中途半端な感じだけど、ホントに注目してんだからいずれもっとちゃんと書くよ。ごめん。

と、いかに優れたライターでもその作品をコミックとして優れたものとするには優れたアーティストの力が必要となるわけなのですが、やはり前々回の『Transmetropolitan』におけるダリック・ロバートソンのように、その時そばにいた優れたアーティストと組み、その最大限の力を引き出すっていうのも優れたライター、ウォーレン・エリスの力なのではないでしょうか。エリスについては今後ももっと色々読んでいくからねっ。
さてエリスのAvatar Press作品についてですが、まあそれほど代表作的に語られる有名作こそありませんが、ある程度の量はあり、やはりAvatar Pressというところの特殊性ということも加え必ずや読む価値のあるものと考え、個人的には色々と探って行くつもりであります。いつものように読もうと思ってるものについては内容を調べないので、どんなものかはわからないままリストとしては並べておきますので。
一方そのAvatar Pressなのですが、ちょっとここに来て勢いが落ちてきた様子。やっぱりImage comicsを中心に作家がオリジナルの作品を書きやすい状況になってくるとAvatarの利点も低くなり、どうしてもパブリッシャーの規模としても劣るところとしては仕方のないことなのでしょう。やはりこれまでの付き合いもあり、有名作家の名を連ねたアンソロジー的だと思われるものは出ているようだが、後は主にバッド・ガール物のBoundless Comicsのリリースという感じになってきている様子。しかしその状況になっても、過去のものとしては18禁、17歳以上推奨みたいな方向が多いAvatar Pressの一味違う独自性には魅力がある。まあこちとらそもそも最新作情報でやってるところじゃないしね。今後もAvatar Press作品についてはなるべく多く取り上げて行く予定。とりあえず近いうちに『Crossed』の続きはやりますから。いつかはBoundless物もやりたいなあ。乳。


で、今回はちょっと「アンチ・ヒーロー」についての自分なりの考察を少し書いてみようと思います。相変わらず他人が書いているものを全然調べないので、こんなの普通にそこらでみんな言ってることだよ、って感じだったらごめん。まあいいじゃん、どうせここ俺んちだから。
まずアンチヒーローとは何か?例えばヒーロー・コミックの実態に関し全く知識がなく、ヒーローという存在をそもそもちょっと斜めに見ている日本の多くの人が考えるのは、現実には存在せず、「リアリティに欠ける」ヒーローというものを否定的に扱ったものという感じではないでしょうか。多分アンチ・ヒーロー的として真っ先に思い浮かべられそうな『キック・アス』という作品も作者の意図とは反し、ヒーローものをパロディ的に扱ったコメディ作というようなとらえられ方をしているかもしれません。しかし、実際のヒーロー・コミックもアンチ・ヒーロー・コミックもそういうものとは違っており、更に言うならば私見ではありますがアメリカの現在に至るヒーロー・コミックの歴史というのはアンチ・ヒーローの歴史とも考えていいのではないかと思っています。実際の近年のアンチ・ヒーロー・コミックについては後述するとして、まずはこの辺のヒーロー・コミックに関する私見について語ってみようと思います。と言っても大上段本格的にアメコミの歴史について語るにはかなり知識も乏しいのでかなり雑な概観になりますが、その辺は勘弁してね。
まず、これからアメリカン・コミックを読み始めようとしている人がいるとして、どれを読んだらいいのかと調べてみるとそのおススメにまず確実に入っているものとして『バットマン・イヤー・ワン』という作品があります。現代のアメコミを代表する不動の名作となっているコミックですが、1987年に出版されたこの作品、フランク・ミラーによるダークでリアリティの深いアンチ・ヒーロー的視点により『バットマン』を語り直したもので、これによりバットマンが現代に蘇生されたという作品です。またマーベルでは、そもそも現代のマーベル・コミックスの歴史の先頭に書かれるスタン・リーによる『スパイダーマン』が当時の既存のヒーローに対するアンチ・ヒーローであったわけで、その後80年代にはタブーである殺人をも辞さないアンチ・ヒーロー、ウルヴァリンの登場により『Xメン』が人気となります。その後も、パニッシャー、デッドプールといった通常のヒーローストーリーから見ると例外的なアンチ・ヒーローが現れ人気を博し、その最新が最近その両者に続きマーベルヒーローをぶっ倒したThe Unbeatable Squirrel Girlでしょう。りすガールすげー読みたいんだけどそこに至るまでの流れになかなか追いつけなくて…。でもそういえばりすガール最近だんだん可愛くなってない?私はあのマーベルの造形基準を限界突破してるルックスが好きなのだけど…。

と、まあ全ての物はカウンターであるアンチの登場によってアップデートされ生き永らえて行くわけなのだが、ここはまずアメコミに限定して話を進めて行きましょう。おそらくアメコミ最大のアンチ・ヒーローの動きというのはその後の90年代のトッド・マクファーレンらによるImage Comics設立に至るところでしょう。今アメコミについて中心的に発言しているのは主にこの時期からのファンの人だと思うのだけど、ちょっと自分はその辺に暗かったりもするのだが…。アメコミのヒーローとアンチ・ヒーローを分ける最大の点は、そもそも子供向けに始められたコミックのヒーローは決して人を殺さない、ということだろう。そしてそれはこの時期、多くのアンチ・ヒーローの登場によりあまり重要な意味を持たなくなったのではないか。もちろん今でも王道のヒーローは人を殺さないというルールは厳格に守られている。しかし場合によっては人を殺すこともあるヒーローの活躍により、実はそれって思ってたほど重要じゃなくて、決して人を殺さないヒーローによっても大人の読者も納得できるようなストーリーを作れるんじゃね?と作り手も読み手も気付いた、ということなんじゃないかと思う。そんな風に2000年代に向けてアンチによりアメコミはアップデートされたのではないかというのが私の意見です。

そして2000年代初期のアンチ・ヒーロー・ストーリーとして私が大変感銘を受けたのが、イベント『ハウス・オブ・M』の中のエド・ブルベイカーによる『キャプテン・アメリカ』10号です。まあ『ハウス・オブ・M』についてはいろいろ情報もあるだろうからそっちを調べてもらえればいいが、色々あってスカーレット・ウイッチの力が暴走してすべての現実が書き換えられてしまったという世界で、キャプテン・アメリカ、スティーブ・ロジャーズは第2次大戦末期氷漬けにならず、戦争の英雄として帰還し、普通に年を取って現在は老人となっている。そしてその書き換えられた現実の中でのこれまでの彼の人生が語られるのがこの作品です。終戦後、英雄として帰還したキャプテン・アメリカ/スティーブ・ロジャーズ。だが、戦後の世界で待っていたのは増大するミュータントへの危機感からもたらされたミュータント狩りの嵐だった。そして、戦争中ミュータントと思に闘ったキャプテン・アメリカも議会の委員会に呼ばれ、聴聞を受ける。しかし共に戦った友を裏切るつもりなどない彼は聴聞会の場でそのマスクを脱ぎ、キャプテン・アメリカであることを辞める。その後も軍に残ったロジャーズは、終戦の十年後、初めて月に降りた宇宙飛行士となり、再び英雄となる。そしてその現実ではミュータントの人口も爆発的に増加し、もはやマイノリティではなくなり、やがてマグニート=マグナスが世界のリーダーとして受け入れられるようになる。だが彼の中に独裁者の影を感じ取ったロジャーズはマグナスを支持し疑わない市民の前で「私には彼の言葉はスターリン、ムッソリーニ、そしてヒットラーと同じに聞こえる」と彼を糾弾し、軍を追われ、英雄の座から再び引き下ろされるのだった。スティーブ・ロジャーズ。彼はコスチュームを着けているからキャプテン・アメリカだったのではない。その自由を信じ、何よりも重んじる精神がキャプテン・アメリカなのだ!アンチ・ヒーロー的と言うべきストーリーの中で真のヒーロー精神を語る重量級の問題作である。私はこれを読んでブルベイカーのキャプテン・アメリカは必ずすべて読むぞ、と心に誓った!いやまあ、いつものことであんまり進んでないけど…。

在郷軍人会に出席し、その人生を回想しながら帰途に就くロジャーズ。もしかしたら私にはもっと別の人生があったのかもしれない。だが、これが私の人生なのだ。そう締めくくるロジャーズの顔には後悔などない。そしてそんなロジャーズを、これが書き換えられた現実であることを知るマーベル・ヒーローたちが陰から見守る、というシーンでこの物語は終わります。ロジャーズはこの変更された現実の中で真実を告げられることはなく、本当の現実を取り戻すための闘いにも参加しない。ロジャーズは老齢でその力もないため、という風にも説明されるが、しかし、このスティーブ・ロジャーズに誰がこの現実は虚偽だなどと告げられるだろうか?たとえそれが真実ではなくてもそこにいる老人はその人生を生きてしまい、それはあまりにも重いのだ。このラストシーンは、私にはそう告げているようにしか見えないのだが。

あまりにも好きな一編でいつか語りたいなと思っていたらチャンスが来てしまったのでつい延々と書いてしまったよ。あれ?ところでこれって翻訳出てるの?出てないの?日本のマンガを読んでいる人は、こういう会社の方が版権持ってるような作品ってライターがどうこう言っても結局はその人が全部考えた話を書いてるわけじゃないでしょう、と思うでしょう。それはもちろんそうで、ある程度話の方向とか作家も含めた会議レベルで決定されてるんだろうな、とは思うのだけど、そこでその話をどう語るか、どう見せて行くかが作家の手腕の見せ所なのである。例えばこの『ハウス・オブ・M』でキャプテン・アメリカが冷凍されず老人となっているというのは、もしかしたらブルベイカーのアイデアかもしれないけど、仮にこの時期ブルベイカーがキャプテン・アメリカのライターでなく、別の作家が担当していてもそういう話になったかもしれない。でもその場合は老人キャプテン・アメリカも何らかの形で戦いに参加していたのではないかと思うのですよね。ブルベイカーは常にキャプテン・アメリカの本質について考えてシリーズを書き、そして彼が別の現実ではあっても戦後の世界をどう生きただろうか、と深く考察してできたのがこの作品で、そしてその結論からのマーベルワールドとしてはむしろ例外的な展開だったのではないかとも思うのです。
そして当然皆さんもご存じの通り、翌2006年のイベント『シビル・ウォー』の最後にキャプテン・アメリカは(一旦)死亡する。キャプテン・アメリカはなぜ死んだのか、と当時のアメリカの社会状況と結び付けて語ろうとするのはいささか強引ではないかと私も思うのだけど、このポスト・アンチ・ヒーロー・ムーブメント期の、そしてポスト9.11期の一つの到達点であるこのイベントで、エド・ブルベイカーにより深く英雄精神を描かれた真のヒーローであるがゆえにキャプテン・アメリカはこのアンチ・ヒーロー的ストーリーに決着をつけるため死なねばならなかった、とかいうのもやっぱり強引でしょうか。なんかアンチ・ヒーロー的手法で真のヒーロー性について書くこともできるとか、アンチ・ヒーロー的に世界が動くときにはその中で純粋にヒーロー的である者がアンチ・ヒーロー的立場に立つというような逆のそのまた逆、みたいな話をするつもりだったのだけど、結局ブルベイカースゴイみたいな流れになっちまいました。でもブルベイカーだから仕方ないか。

でもなんか延々と書いていると結局ナントカ論みたいになっちまうものですね。私が「論」みたいなもんが嫌いなのは、その「論」を展開して行くうちに自分の説を通す方が重要になってきてそれに合うようにあるものは強引に捻じ曲げ、どうしても合わないものは意味がないように扱ったり、あたかも存在していないように無視したりするところなのだが。どんな世界だってあんたの理屈を通すために存在してるんじゃねーよってこと。まあ今回は好きなコミックの楽しいお話が私の未熟さ故「論」に堕してしまった、ということでこのまま進むしかないです。もういい加減長くなってしまっているのだが、まだしばらく続くので、トイレを我慢している人は今のうちに行っておくか読むのをやめましょう。人生にはもっと大事なものがあるしね。乳とか。
えっとそれでここでちょっと修正です。書いている途中で薄々気付いてきてはいたのだけど、何分主な推進力が勢いだけですので途中での修正が効かなくなってしまっていたのですが、私カウンターとしてのアンチやアンチヒーローと、アンチ・ヒロイズムとヒロイズムというのをごちゃごちゃにしたまま一緒くたに語ってしまっていました。すみません。またややこしいことを言い出したかと思われるかもしれませんが、その辺でわかりやすい例になるんじゃないかと思うので、ちょっと思いついたけどいい加減長すぎるのでやめようと一旦は思った日本のヒーロー、アンチ・ヒーローについてちょっと書いてみようかと思います。

まず日本を代表するヒーローと言って誰もが思い浮かべるのはあの仮面ライダーでしょう。そもそもがTVとのメディアミックスとして企画されたもので、同71年から開始されたマンガ版はちょっと原作というには当たらないところでしょうが、石ノ森章太郎によるオリジナルという考えはそれほど間違ってもいないと思います。で、これを読んだことがある人ならおわかりでしょうが、この作品ヒーロー物ではあるけど、アンチ・ヒロイズムに満ちたキャラクター、ストーリーの作品です。石ノ森のメディアミックス的作品は多いのだけど、その多くが(ロボコンは違うか…)アンチ・ヒーロー的作品で、それはTVシリーズの方にも幾分は反映され、より人間味のあるヒーローという感じで人気を博していったということなのかもしれません。いや、ちゃんと検証してないのでどういう世間的評価になっているのかすら知らないだけなんだけど。石ノ森作品ではそれに先立つサイボーグ009も赤いマフラーをなびかせてかっこいいのだけど、その物語は様々な葛藤と苦悩に満ちたアンチ・ヒーロー的作品です。そしてそれ以前のヒーロー物というのは月光仮面に代表される純粋に正義のために闘う、アメコミで言えば初期のバットマンやスーパーマンのように王道のヒロイズムによるヒーロー作品だったわけです。石ノ森自身がそれについて直接アンチという考えであったのかは知らないけど、とにかく新しいものを作りたいという気持ちがあったのは当然のことで、それはとにかく結果としてそれ以前のものに対してもアンチともいえるヒーロー像を作り出したわけです。更に視点を拡げると、結局70年代というのはアンチ・ヒーロー時代でマンガ以外にも多くのアンチ・ヒーローが登場していたわけですが、くれぐれも言っておくが石ノ森章太郎の天才性を雑に時代性に従う方向で語るような「論」に騙されんようにね。そしてマンガでもそのすぐ近くにもはや濃縮アンチ・ヒーローのような若き日の池上遼一による日本版スパイダーマンというようなものもあったわけです。まあこの作品は初期は小野耕世がオリジナルの脚色を監修し、のちには平井和正が原作=ライターを担当したわけだが、なんといっても池上遼一の画無くしては現代にまで残る作品にはなりえなかったので、まず「池上遼一の」と言えん奴にはマンガ/コミックを語る資格なし!そして更に数年後にはアンチ・ヒーローの決定版ともいうべき永井豪のデビルマンが登場するわけである。
そして時代は80~90年代、アメリカのアンチ・ヒーロー・ムーブメントと同じころ、日本では鳥山明のドラゴンボールが登場する。これをヒーロー物と考える人は特に日本では少ないかもしれないが、現在の日米のマンガ/コミックを包括した視点で見れば明らかにヒーロー・ジャンルに属するものであろう。そして、鳥山がそもそもヒーロー的な方向のストーリーを書く意図もなく様々な主に外的とも言える要素からこの作品がその方向にシフトしたのは自明のことであり、鳥山自身にもアンチ的な考えもなかっただろうにしても、この作品はそれまでの日本のヒーロー物の流れに対してアンチというべきポジションにある。更にこの作品はこれまで語ってきたような考えで言えばヒーロー物としては王道のヒロイズム方向で描かれているストーリーなのである。つまりこれがもはやアンチ・ヒーロー的なものが主流となっているところでそのアンチというポジションで現れた王道ヒロイズムが取って代わったという例。そしてその王道は過去の月光仮面の回帰的なものではなく、更にその主人公孫悟空はアメコミのデッドプールにも通じるところのあるようなある種の例外性というようなアンチ・ヒーロー部分も含んでいたりもするのです。同時期にはそれまでの日本のヒーローもの的な流れを極限までチューンナップ、何か化させたような聖闘士星矢という作品もあるのだが、その後のナルト、ワンピースという流れを見れば鳥山明的王道ヒロイズムが主流となったのは明らかではないでしょうか。

そして、実は日本のマンガにはもう一つのヒーローの流れがあります。まあこれをヒーロー物として分類する人はあまりいないだろうが。それは、ある程度の時期まではむしろそっちが日本のマンガのメインストリームだったスポーツ・ヒーロー物です。スポーツをテーマとしたマンガは、そもそも人気ジャンルとしてそれ以前にもあったようですが、それを決定的にメインストリームへと押し上げたのが梶原一騎であることに異論を唱える人はいないでしょう。日本に限ったことではなくほかの国でも同じでしょうが、子供が従来のヒーロー的なものを「卒業」したということにして次にその場所に置き換えるのがスポーツであることからも、スポーツものをヒーロー・ジャンルとして考えることはそれほどそれほど見当違いではないと思うけど。そして梶原スポーツヒーローは根性、熱血といった常人にはないパワーをもとに魔球、必殺技を編み出し、敵と超人的闘いを繰り広げて行くというスポーツヒーロー物語で日本の少年向け(当時は少年向け・少女向け・成人向けの3ジャンルのマンガしかなかった)マンガの王道となるわけですが、ここで注目したいのが実は梶原一騎のヒーローはすべて(と断言する!)アンチ・ヒーローだということです。矢吹丈が眠狂四郎、座頭市とも並ぶ日本を代表するアンチ・ヒーローなのは当然ですが、では星飛雄馬は?巨人の星というマンガは誰もが名作と認めながら、あんまり好きではないという言い方をする人も少なくなかったりするのですが、それは極貧の中、野球に異常に執着する暴力的で半ば狂人に近い父親に育てられ、プロ野球選手になっても一つの敗北でキャリアがほとんど破綻するような形でしか仕事ができず、恋をしても運命的に破局に至るような人生誰も歩みたくないってことじゃないでしょうか。こんなにみんながなりたくない人ってアンチ・ヒーロー以外の何?このように70年代の通例通りアンチ・ヒーローを主人公としながらほぼ天才梶原一騎一人の力で日本のマンガのメインストリームはスポーツマンガとなって行ったわけです。アメリカでほぼスタン・リー一人の力でその後のアメコミが形作られたのなら、当然イッキ・カジワラにだってできるんだよ。もしアメリカにいたのがスタン・リーじゃなくてイッキ・カジワラだったらアメコミと言えばスポーツ・コミックってことになってたかもしれないし、日本でも梶原一騎が現れなければ日本のマンガももっとヒーローメインのものになっていたかもしれないのです。アレ?まだついてきてくれてる人いるよね…。
前述の71年の仮面ライダーの開始時期も実はすでに梶原スポーツヒーローがメインストリームとなっていたころで、その後のヒーロー的ストーリーにもある程度はこちらの流れが影響してたりするのも少し複雑なところで、先ほどちょっと意図的にさらりと流した聖闘士星矢も作者車田正美はそもそもが本宮ひろ志の門下生で、それに先立ちボクシングマンガリングにかけろをヒットさせていたりもするわけです。そして70年代中盤の遠崎史朗/中島徳博のアストロ球団なんていうのはどっか行きすぎちゃったスポーツヒーロー物としてアメコミに当てはめればロブ・ライフェルド方向にあたるのかもしれません。そしてここにもアンチが登場。ご存知ドカベンをはじめとする水島新司作品です。梶原一騎とはほぼ同世代ぐらいで同じように少年向けマンガの始まりから活動している水島新司には、梶原先生の作品はちょっとな、ぐらいの気分はあったかもしれないが、怖いしあからさまに表明はしてこなかっただろうけど、自分の好きな方向で描き続けているうちに次第にそっちの方が人気を集めるようになり、アンチ的なポジションで勝利を収めたというところではないかと思います。そしてこれも内容的には梶原一騎のアンチ・ヒロイズム的作品群と比較すれば王道ヒロイズムと考えていいような作風だったわけです。しかしよく見てみると水島マンガというのはシリーズキャラクターが一堂に会して戦うのがあったりシリーズのキャラクター同士の交流も多かったりと、案外アメコミと共通点多かったりしますね。

とまあ、ヒーロー物のメインストリームがアンチ・ヒロイズムによるアンチ・ヒーローを主人公としたものになることもありえ、またそのカウンターとして王道の方のヒロイズムがアンチとして現れるということもありうる、ということをちょっとうまい例が見つからないアメリカのものに代わって、日本のマンガの例で描いてみたというわけです。本来日本のヒーローものを語る上では主要な要素であるTVでの展開について全く触れていないことで、不満、異論は多数ありましょうが、とりあえずアメリカのコミックに照らし合した形で日本のマンガについて語るというあんまりない試みということでご容赦いただきたい。そもそもこんなヒーロー論でこれから打って出ようなどというつもりも全くないので。そしてここで何かの公式でもできたかのように、次はアンチ・ヒーローが来る!などと予言するつもりもない。イレギュラー的に注目作は出てもなかなかそれが完全に全体の流れを変えるところにまで至るのは難しいものですからね。しかし今の進撃の巨人にはもしかしたら何かの流れを変える端緒になるのかも、という期待は少しあるかも。あ、いや期待とか言っても今の状況にすげー不満で問題意識を感じてるとか言うわけでもないのだけど。そして日本のマンガについて最後に現在特筆しておきたいのが荒木飛呂彦ジョジョの奇妙な冒険であります。その芯の部分には揺るぐことのない王道の正義、勇気というヒロイズムを抱えながら、そのあまりにも独特の世界観ゆえにもはや王道・アンチなどという区分けのできない作品となっているのである。まあこれこそが何でもかんでも小賢しい「論」みたいなもんで括れるもんじゃねーよ、ってゆー実例のようなものなのだが。私も近年多くのすぐれた海外のコミックを読む機会にも恵まれているが、それでもこの作品が追随者すらいない前人未踏無人の荒野を一人悠々と闊歩しジョジョ立ちを決めて見せているという印象には一切変わりない。なんかアメリカでこれあんまり読まれていないってゆーのがすげー不満なんだよ。多分ジョジョはこれを読めば今の日本のマンガが分かるという意味での日本を代表するマンガではないだろう。しかし、ひとつの作品がその時代の全ての作品と等しいほどの重要性を持つなんてことはざらにあるのである。みんなもジョジョだけは必ず読もうね!私も最近は海外のもの読むので忙しくて日本のほとんど読めてないのだけど、ジョジョとギャグマンガ日和だけは必ず読んでいるのだ!
ここで日本のマンガについては終わるのですが、最後に話の流れとは全く関係ないのだけど大変重要なことを発見してしまったので無理矢理ここに書きます。トイレに行こうと思ってた人も読むのやめようと思ってた人もここだけは読んでからにしてくれ!なんか昔のマンガについて色々調べているうちにふと思いついて何の気なしに脱線して調べてみたら、なんとあのほぼ失われつつある日本のマンガ・レジェンド宮谷一彦の作品がKindle版でつい先月に復刊されているではありませんか!これって永らく絶版で二度と日の目を見ることはないかと思ってたやつじゃない!下に無理やりリストをねじ込むので、興味のある人は…、いやみんな興味を持てっ!

というわけでここからはまたアメリカの方に戻ります。といってもその先そんなに進んでいなくてあまりマーベル方面ではネタがないのだが…。2000年代からのマーベルの中心人物といえばブライアン・マイケル・ベンディスというのは誰でも知ってることですね。長年のヒーロー・コミックス、マーベルのファンとしてマーベルに入ったベンディスが、ヒーローやマーベルに対してアンチなわけはないのだが、ちょっとその傾向はアンチ・ヒロイズムを多く含んだもので、今やっとシークレット・インベイションの途中ぐらいにたどり着いたところだけど、なんだかマーベルのヒーローを絶滅させるぐらいの勢いだったり。まあどうしても読みたくて途中飛ばしてヒックマンのアベンジャーズとか読んでいるとみんな生き返っているのでそんなことはないのはわかってるけど。しかしそれでベンディスがアンチ・ヒロイズム派かというとどうもベンディスもそんなに単純には分けられる作家でもないような気がする。多分アメコミの作家で一番多く読んでいるのはベンディスなのではないか、というぐらいには多く書かれたマーベル作品を読んではいるのだけど、なんか自分の中でちゃんと系統づけられるようには読んでなかったりで、やっぱり早くオリジナルのとか読まなくてはと思っているのだけど。ただベンディスについて常に感じるのは、この人はリアリティを強固な軸とした作家ではないかということ。しかし、このリアリティとはその辺の安っぽいこき下ろし屋が、自分の周囲数年半径数メートルと照らし合わせてリアリティがない、とか鬼の首を取ったように言い出すレベルのものではない。たとえばそのレベルのリアリティにとっては重力というのは別に理由を考えるまでもなく下に向かって動くものであろう。しかしベンディスにとっては重力が下に向かって動くというのがリアリティなのではなく、それが上に向かうもので合ったら当然物事はこう動くだろうというのがそれなのではないかと思うのです。うーん、あんまり例が上手くない…。つまりリアリティが常識という初期値で決定されそれに従うのではなく、その初期値が変わってもそれゆえに必然的にもたらされる物の動きから社会の変動までの運動法則を算出できる能力としてのリアリティというのを持ってるのがベンディスという作家なのではないかと思うわけです。
まあ結局ベンディスについてはまだ出発点ぐらいのところなのだけど、ちょっと思うところを書いてみたいと思っていたので引きずってしまったが、とりあえずかなり中途半端ではありますが、そっちの方はもういいか。そもそもどれがアンチでどれが違うみたいなことをいうために書いていたのではないのである。いや、行き詰ってしまったのでうやむやにして知らんぷりをしようとか言うのではなく、ダラダラと当てもなく書いていたらそちらに向かって流れてしまっていたという私の未熟さゆえの失敗です。すみませんでした。元々はこれからまだ少し書こうと思ってる最近のアンチ・ヒーローものについての前に、アンチ・ヒーローものというのは単純にヒーローものに対する反感や軽蔑という趣旨で書かれたものではないということを、本流の中でもそういう形の動きもあることを示す形で説明して地ならしして進もうという意図のものだったのですが。という感じでここらでちょっと軌道修正をしてあとまだ少し続きます。大体こういうやつが「少しお話してよろしいでしょうか?」などと言い出したら延々と話し続けるものと相場が決まっているのであきらめてくれたまえ。とりあえず時間と根気のある方だけでももう少しお付き合いください。ちょっとその前にここらで言っとかなきゃならないのは、アメコミメインストリームの話をしているような顔して結局マーベルのことばっかで、DCファンの方にはごめんなさい。なんだか色々と旧作を別々に読んでいるばかりでなかなかDCの方は現在の流れにうまく乗れないでいたのだが、それではいかんと思い最近やっと近年のイベント中心という感じでひと枠設けて読み始めましたので、次に事ある時にはDC方面ももう少し語れるようになると思いますので。あとこういう流れに大きく影響したブリティッシュ・インベイジョンについては今回は敢えて書かなかったけど、私が大好きな英国系さんたちのことを忘れるはずないじゃん!えーと、あとちょっと手抜きで作品名を『』で括るのを省略しててごめん。この後はなじみのない名前も多くなってくるだろうからちゃんとやります。とお詫び関係はこのくらいでいいか。では次にまだ進むであります。

で、どこから始めたらいいかと考えると、今回の場合Image Comics設立あたりが良いのでしょうが、生憎前述の通り私はまだその辺にはあまり手を付けられておりません。まあ『Spawn』とかは私がやらなくても色々と情報はあるだろうし、『Young Blood』系も探せば見つかるのではないかと思います。ただロブ・ライフェルドとかは今でもある部分では人気者であったりはするけれど、新しいファンにはあまり人気は無いようで、「The 40 Worst Rob Liefeld Drawings」なんていうのもあったりして、Comixologyでもアメリカ国内的には結構あるみたいだけど、とりあえず日本からはシリーズの最初の方しか買えなかったりもしています。まあそれほど積極的に読みたいというわけではないけど、この辺のがミッシング・リンクになったりするのでは、とちょっと気になっていたりはします。このうち、オリジナルはライフェルドで近年Brandon Grahamによってその新展開として書かれた『Prophet』は、もはやどう言ってもヒーロー・ジャンルではないのだが、優れたSF作品としてぜひ語っておくべき作品なので、近日中に何とかします。
あとImage Comics内では、Top Cowが初期から多分オカルト方向でのアンチ・ヒーロー物という見方でいいのではないかと思う『Witchblade』、『Darkness』の2大看板人気作で現在まで続いているのだが、最近ではスピンオフ的なものから他シリーズまでを統合してTop Cowワールドを形成していたりするので、その辺まとめた感じでそのうち書ければと思っています。
そしてImage内ではロバート・カークマンのSkyboundから『ウォーキング・デッド』と並ぶカークマンのもう一つの代表作である『Invincible』があります。2003年から続いているこのシリーズ、現在ではちょっとしたワールドも形成していたりもして、もうアンチとかいうよりは一つのヒーロー・シリーズなのかもしれないが、ティーン・エイジャーの主人公を中心に始まったその開始当初は日本でのラノベに相当するようなポジションからのアンチがあったのではないかとも思うところもあります(ラノベ的なストーリーという意味ではない)。実はこれについては、ずっとやらねばと思っている「ジャッジ・ドレッド伝」に手を付けられたらその次にちゃんとした形で書き始めようと思っているのだが…。まあ上記のような考えで、日本的にも語る意味のある作品ではないかと思ってるのでいつかちゃんとやりますです…。

続いてBoom! Studiosから2009~2012年に発行されたマーク・ウェードの『Irredeemable』です。まあ結局は主にこれについて正しく伝えたいために延々と書いてきたところもあるのかもしれない。この作品については以前どこかで「スーパーマンのパロディ」と紹介されていたのを見たことがあり、それはいくらなんでも雑すぎるだろうと思い、いつか正しく伝えなければと思っていたところもあるものである。世界最強のヒーローPlutonian。だがその負荷に耐え切れず心が折れたとき、彼は誰も止めることのできない世界の破壊者となってしまう、という物語。Plutonianのモデルは明らかにスーパーマンだが、その目的はパロディ的な方向ではない。これはDCのスーパーマンでは書けないスーパーマンの物語なのである。これは従来のヒーロー物のストーリーでは書けないヒーロー・ストーリーを描くという、単純に「反」ではないアンチ・ヒーロー・ジャンルの見本のようなもので、あの『ウォッチメン』にも通じる物なのです。でもアラン・ムーアに関しては、従来のシリーズでもそれを平気でやっちゃう人なので危険でうかつには本編を任せられなかったというところなのでしょうね。2000ADがムーアにドレッドを書かせなかったのは、もしかするとその辺を見抜いていたのもあるのかも。この『Irredeemable』はいかにマーク・ウェードといえどもそのままスーパーマンを主人公にしてDCに持ってったら通らないところは多いと思うのだけど、それだけではなく、また一方で仮にこれが通ったとしてもそれはただバットマンやワンダーウーマン、フラッシュ、グリーン・ランタンというキャラクターの物語になってしまったのだろうとも思います。ウェードが書きたかったのはそれではなかったのですね。で、なんで私がこの作品についてそんなにムキになってるかというと、その最大の理由はこれメチャクチャ面白いからです。さすが、ちょっと前の話かもしんないけどコミック界随一のストーリー・テラーといわれたマーク・ウェードの手腕がいかんなく発揮された作品なのです。読んでてこれほど、えっ、じゃあ次はどうなるの?って感じになるのはそうそうないんじゃないかと思う。ケレン味あふれるって感じで、パロディで納得しちゃうのはもったいない作品なのです。この作品には同じくマーク・ウェードによって並行して書かれた、ヴィランMax DamageがPlutonianが容赦なく破壊を始めたときその圧倒的な力にアイデンティティの危機を感じ、それを取り戻すため対抗する正義を目指すというスピンオフ作品『Incorruptible』もあります。こだわっていると言うわりには今回少し雑ですが、これについては両作併せていつの日か必ずやりますので。うーん、今んとこやっと3分の2超えたぐらいなのだけど、なるべく急ぐっす。
Boom! Studiosには他にもPaul Jenkinsによる、謎の圧倒的な力の異星人によりほぼ壊滅状態にある地球で生き残ったヒーローたちが殺し合いのトーナメント戦を戦わされるというストーリーの『Deathmatch』という作品もあります。2012年から全12号で完結。Boom! Studios面白そうなのいっぱいあるのにこれで初登場じゃん。ごめん。もっと頑張る…。

続きましてDynamite Entertainmentからはアレックス・ロスとJim Kruegerによる『Project Superpowers』。第2次大戦中、ナチスが発掘したパンドラの壺にアメリカのヒーローFighting Yankはその守護霊である祖先に言われるまま、その壺から災厄を外に出さぬため共に戦うヒーローたちを次々とその中に送り込んでしまうのだが…。という感じで始まるこの作品、まだ最初4号ぐらいしか読んでないのだけど、アレックス・ロスがプロットとアートコンセプトにも関わっており、独特のプログレ感あふれる壮大な感じの作品という印象です。アレ?もしかしてロスさんの作風をそう表現しているるのは私だけ?じゃないよね?で、マーク・ウェード、アレックス・ロスと続けばもうお気づきの方も多いと思うが、当然出てくるのはあのDC『キングダム・カム』…なのだが、実はまだこれ読んでいません…。いや、だからさあ、日本版も出てるの知ってるし、そこあんまり順番考えなくていいのも知ってるけど、ほらマルチヴァースのとか色々先に読みたいじゃん。という感じで手を付けられていないのですが、この作品など当然その知識を持たずにしては語れなそうなものでもあり、まあなんにしてもいずれ『Irredeemable』について書くまでにはちゃんと読んどきます。ごめん。2008年に始まったこの作品2010年には一応完結しているようなのだけど、その後もなんかスピンオフ的なのも出てるみたいなのだが、とりあえず区切りのとこまで読めたらいつの日にか語るつもりです。ちゃんと『キングダム・カム』と併せて…。
Dynamite Entertainmentからはその後アレックス・ロスとKurt Busiekの『Astro City』(これも未読…)コンビによる『Kirby: Genesis』も出てるのだが、こちらは割と短命に終わってる様子。かのジャック・カービーのキャラクター群をフィーチャーした作品ということなのだが、そっちの知識も全然なくちょっと読んだのだけど自分的には力業感が強くあまりよくわかりませんでした…。いつの日にかちゃんと読み直す、べきなのかな?
Dynamite Entertainmentについてはあのガース・エニスの『The Boys』もありますが、そちらについては以前書いたのでそちらを読んでください。その他、Dynamiteはアンチ・ヒーロー・ジャンルではないのですが、ザ・シャドウやグリーン・ホーネットなどの過去の有名なキャラクターやゴールデン・エイジのヒーロー物の新シリーズを多く出していて、それをブランド・カラーとして押し出している感じです。かつて旧Valiant Comicsが出していたGold Key ComicsのSolar、Magnus、Turokなどのキャラクターの版権は現在Dynamiteが持っていて、継続中なのかちょっとわからないのだけど新シリーズが出されています。あとDynamiteはあのヴァンピレラの版権も持っていて、新作旧作ともに現在はDynamiteから出版されています。日本でもその麗しいお姿を知らぬものはいないでしょうが、新旧の関係など少しわかりにくいかと思いますので、日本でのヴァンピレラ様振興のためにもそのうち整理ぐらいはしとこうかと思っております。

あとValiant…。いや、随分中断しているのだけど続きをやる意思はあるのでなるべく近いうちに再開しますです…。なんかだんだん宿題の確認になってきてない?

『The Boys』がDC傘下のWildStormから出版されたが、発売中止となりDynamiteへと移籍したことは有名な話ですが、その少し後に同じくWildStormからのもので女性ライターGail Simoneによる『Welcome to Tranquility』という作品があります。これは引退した老ヒーローたちが暮らす町Tranquilityを舞台にした話で、一人の老ヒーローが殺害され、かつてのヒーローの娘である女性保安官がその捜査を進めるうちに町の様々な影が浮かび上がってくるというストーリー。2007年から全12号で発行され、現在はComixologyとDCのアプリ・ショップで1号0.99ドルのお手頃価格で読むことができます。2008年には続編『Welcome To Tranquility: One Foot in the Grave』も全6号で出版されています。こちらもまだ序盤ぐらいしか読めてないのだけど、WildStormユニバースに属していて『The Authority』とかとも関係あるらしいので早くそっちも読まないと。あとGail SimoneにはPAINFULLY NORMAL PRODUCTIONS LLCというインディーから出版されている『Leaving Megalopolis』というアンチ・ヒーロー・ジャンルらしき作品もあり、こちらはその後Dark Horseから続編『Leaving Megalopolis: Surviving Megalopolis』も出版されています。ちょっとこの作品がインディーから出版されている事情とか時間なくて調べきれなかったのだけど、かなり面白そうで期待していて例のごとく内容は一切調べておりません。いやまずTranquilityの方をちゃんと読まんと。

そしてDark Horseからはあのドゥエイン・スウィアジンスキーがライターを務める『X』。ボロボロのマントを羽織り、片目のみが空いたマスクは口すらもなく首元で南京錠で固定されている。恐るべき身体能力と不死身かと思う強靭な肉体を持つ、正体不明、非情のヴィジランテX。Arcadiaを堕落させ私腹を肥やす豚は容赦なく抹殺する!アンチ・ヒーローの極致のようなキャラクターでリアル拳銃を使い容赦なく人を殺します。スウィアジンスキーにぴったりのヒーロー。かなり痛めつけられるし。この作品は90年代に登場した同名キャラクターのリバイバルなのですが、それもそもそもはComics' Greatest Worldっていうのから出てきたものだったりしてちゃんと書き始めると途方もなく長くなってしまうのですが、これについては近日中に必ずやりますのでその時に。『Prophet』とこの『X』あたりどっち先になるかわからないけどすぐにやるよ!Dark Horseのヒーローについてはその話をしないと始まらないし、もう余力もないのでその時に一緒に書きますので…。ああ、Dark Horse、どんだけ読まなきゃなんないのや書かなきゃなんないのがあるやら…。

というわけで、とりあえず自分のある程度把握している2000年代以降のアンチ・ヒーロー物について各社に亘ってできる限り書いてみました。ご覧のようにほとんどは「反」というような意図で書かれたものではなく、異色ヒーロー物とか言った方がいいのかもしれません。しかし従来のヒーロー物に対してのアンチではなくても、アンチ・ヒロイズムによって書かれたもの画多いのも確かだと思います。多分これは今に始まったものではなく、もっと以前から作家の中には自分のキャラクターとしてヒーローを作り、それをきちんと終わる物語として書きたい、という欲求はあったのでしょうし、それがやりやすくなったのがこの時代だったというところなのでしょう。しかしながらまたごく最近の数年、このような作品はあまり目立った形で表れていないように思います。それは近年Image Comicsに代表されるような非ヒーロー物の作品が人気を持ってきた傾向の影響なのだろうと思います。『Irredeemable』をヒットさせたBoom! Studiosも最近はそのジャンルに目立ったものはなく、『X』とともに複数のヒーロー・シリーズを立ち上げたDark Horseもワールド的な大きな構想はあったようですが、そういう展開もストップしてしまっています。今はマーベルDC以外のヒーロー物は売れない、という見方になってしまっているようです。まあImageなどの非ヒーロー・ジャンルには大いに期待しているのではあるけど、こういうのもやっぱりもっと出てきてほしいなとは思うのですよね。しかし、やっぱりアメリカはヒーロー・コミックの国なので、そういうジャンルを書きたいという思いを持った作家も多いようで、Comixologyのインディー・コーナーを見ると本当に多くのヒーロー作品が見られます。なかなかそちらに手を拡げられないのも悔しいところなのですが、そんな中で前から気になっていて最近やっと1号を読んだキューバ出身でFantagraphicsからの作品のリリースもあり、最近はマーベルでも起用されているMichel Fiffeの『Copra』にはその斬新で独創的な画風、イマジネーションに驚かされました。まだ詳しいストーリーもあまり見えないのだけど、政府に雇われているやさぐれヒーロー部隊が中心となる話のようです。これについてもある程度読んだ時点で必ず詳しく書くつもりです。まだまだどこからどんなものが出てくるかわからない楽しみな状況で、なるべく広い視点で色々見て行きたいな、…と思いつつも、今回はずいぶんと沢山の宿題を抱えていたのを再確認もしてしまったところ…。なんか宿題放置してマンガばっか読んでる小学生になった気分だよ。あっ、でもねお母さん!これは宿題を書くために読んでるんだよ!マンガのことを書く宿題なのっ!だからちゃんと宿題はやるからっ!ぜったいぜんぶやるからねっ!

さて、最後に今一度今回の『Black summer』に戻りましょう、…ってオメーしょうもないネタ入れるから文章の流れメチャクチャだよ…。表に見える社会的ともいえるメッセージをどけて、今回の色々な考えで見てみると、ヒーローの世界や影響をどんどん広げても個人で戦う者の物語は必ず行き止まりにぶつかるのではないか、まず目の前で困っている人を助けるというミニマムな正義に戻って考えても見るべきではないか、というようなヒーロー・コミック自体へのメッセージも見えるように思われます。アンチ・ヒーロー・スタイルで最もシンプルな王道へというメッセージ。しかし、その一方でこれだけ非常識な力を持ったやつらでどのくらいエグイバトルができるのかという挑戦もエリスの主題であることは忘れてはならないのだ。そして更にアーティストJuan Jose Rypの第3の主題が女性キャラの乳であることも!いや、もしかするとそれもエリスの詳細な指示があったのでは?などと無用の深読みは続くのでした…。

いやはや…。やっと終わったよ…。またずいぶん遅れてしまったのですが、今回に関しては約3週間ほとんど毎日少しずつでも書いてた結果なのですよ。しかしまあ、元々が説明するための例で、それを説明するためなどど積み重ねているうちになんか形を作ってしまうのだけど、ちゃんと計画して設計したものでないので、その形を作るにはガタガタでスキも多くて、そんなものを3週間もやってるとアラばっか見えてきて、そもそもこんなのオレがやることなん?てゆー気分も強くなってきて一旦は捨てちまおうか、という気にもなったけど誰か役に立つ人もいるかもしれないのでそのまま上げました。まあ色々とアレについての言及がないとか、アレについての情報がいい加減などのご不満はありましょうがご容赦ください。個人的には日本の大人向け変身ヒーローの決定版『実験人形 ダミー・オスカー』について触れられなかったのが心残りであります。まあ今回は最長ぐらいのものになってしまったが、誰も罵倒していないはずなのでまあいいか。ずいぶん長いのに最後までお付き合いしてくれた人がいるならありがとうございました。うん、途中飛ばしてもいいよ。まあ今後はボチボチにゃんとかなるべく効率の良い方法で沢山の作品を紹介できるように努力しますです。よし、2日ぐらいはサボって帰ったらマンガ読んだりして暮らそうっと。あっ、やっと宮谷一彦が読めるぞ。ではまたです。



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2017年5月6日土曜日

The Baddest Ass -Billy Lafitteシリーズ第3作!!!-

遂に登場の、現代最強のノワール作家にして無冠の帝王、Anthony Neil Smith先生のBilly Lafitteシリーズ第3作『The Baddest Ass』である!…なのだが、実は先日お伝えしたBlasted Heathの撤退により現在Kindle版は発売されておらず、ちょっと入手困難状態だったりするのですが…。まああと2か月ほどもすればSmith先生の作品はDown & Out BooksよりこのBilly Lafitteシリーズをも含むすべてが電子書籍版を含め刊行される予定になっているのだが、とにかく読んだものはそこまで待っていられない!リストの方は後で整備することにして(と言うだけ言っていつも放置が続くのだが…)とにかくこの傑作について一刻も早く書くのである!なんだかこのシリーズについてはこれまでの2回ともあまりに好きすぎて書いているうちに各方面への怒りが高まりおなじみ手あたり次第の罵倒をはじめむちゃくちゃになってしまっているのだが、今回こそは落ち着いてこのシリーズのあまりの素晴らしさをきちんとお伝えして行こうと思っております。いや本当に。

では3作目ということもあるので、とりあえずここで一旦これまでのシリーズを振り返ってみましょう。ネタバレなので読もうと思ってる人は飛ばしてね。第1作『Yellow Medicine』ではBillyはミネソタ州イエロー・メディスン郡の保安官代理として登場する。かつてはミシシッピー州で同職に勤めていたのだが、ハリケーン カトリーナ(前にカタリナとか書いてしまってすみませんでした。なぜかその時はそういう名前だと信じてて疑いもしなかった…。)被害の際、人助けのために行った脱法行為が大きく報道され、それに加えてあんまり清廉潔白な保安官代理ではなかったことも災いとなり、職を失い家庭も崩壊してしまう。そんな彼に最後のチャンスとして与えられたのが、元妻の兄Grahamが保安官を務めるこの地での保安官代理の職だった。新たな土地で、やはり以前同様多少はダーティーな部分ともかかわりあいながら平穏に職を務めてきたBillyだったが、自分が把握していると思っていた当地でのドラッグ取引の中で起こった不穏な動きを端緒にまた新たな災厄に巻き込まれて行く。かつての相棒Paul経由でBillyのことを知ったテロリストグループの資金稼ぎのドラッグ取引に協力を迫られる破目に陥ったBillyだったが、拒み続けるうちに敵との軋轢は激化し、Paulも殺害され、恋人Drewと保安官Grahamも事件に巻き込まれて行く。敵グループと決着をつけるため攻勢に出るBillyだったが、その暗闘の最中保安官Grahamは死亡し、Billy自身も逮捕されるという結末をむかえる。やっとのことで敵を振り払った時にはすべてを破壊し、すべてを失ったBilly。そして同地で潜入捜査官として活動していたFBIのRomeはそのすべてをBillyの責任として追及する。唯一、彼女だけは救うことができたと信じていたDrewが逃亡の途上で死亡していたことを知らされ、絶望の底に落ちたBillyは、証拠不十分で保釈された足でRomeを襲い銃を突きつけるが、引き金を引くことができぬままイエロー・メディスンから姿を消す。
第2作『Hogdoggin'』はその18か月後から始まる。Billyは暴力について宗教的ともいえる思想を持つカリスマ的なリーダーSteel God率いるバイク・ギャングの一員となり、Steel Godの右腕というべきポジションにいた。ステロイドの使用で見た目も完全にバイク・ギャングとなっているBilly。そして、ある夜、逃亡前にイエロー・メディスンの後任保安官であるTordsenから手渡された鳴るはずのない携帯が鳴り、Billyは同地へと引き戻されて行く。捜査の行き過ぎから上層部からBillyの件のさらなる追求は止められたRomeだったが、Billyへの憎悪は収まらず、更に妻との間の不調和も彼の狂気に拍車をかけ、強迫観念でBillyを追い続ける。Romeが目を付けたのはBillyがかつての相棒Paulとともに関わった当時違法性が疑われた事件で、それを掘り起こすことでBillyの元妻Ginnyにも接近し、その動きでBillyをあぶり出そうという魂胆だった。イエロー・メディスンに戻ったBillyをまず襲ったのは、事情を知りRomeによりFBIへの登用をもくろむ保安官補Nateとその恋人で警官でもあるColleenだった。しかしハイウェイ上の追撃でNateは死亡。Billyは目立つバイクを代わりの足と交換し逃亡すべく地元のチンピラと接触するが、行きがかりから逆恨みを買い、リンチ監禁の末指名手配中であることが発覚してしまう。隙を見て連絡した瀕死のBillyに応えSteel Godがバイク・ギャング内のBillyのパートナーKristalとともに救援に駆けつける。そして彼らが潜伏したホテルが警察に取り囲まれ始める中、Steel Godは自らとともにKristalを殺害し、Billyの中で押さえられていた狂気と暴力を解放する。閉鎖されたホテル内にさ迷いこんだRomeの妻Desireeに突き付けられた銃口の前で哄笑するBilly。そしてあらゆる狂気と怒りに沸騰したこの世の果てに絶望的な銃声が鳴り響く。
そしてBilly Lafitteシリーズ第3作『The Baddest Ass』である!


【The Baddest Ass】

前作の事件の後、逮捕されたBillyはノース・ダコタの刑務所に収監されていた。テロリストの手下。罪もない女性を殺害。ささやかれる罪状は彼を犯罪者たちの中でも生きる価値のない者とし、様々なグループが彼を無きものとしようとするが、いずれもただ一人のBillyに返り討ちにされてしまっている。
物語は序盤、刑務所カーストの中で最下層にあり、どこかのグループの庇護無しでは生き延びて行くこともできない男Westの視点で語られる。その根本的な無力さゆえに追い詰められたWestはBillyと友人になり信用を得たところで彼を殺すよう仕向けられてゆくのだが…。

そしてその運命の日。刑務所を二組の面会者が訪れる。

一人は前作で恋人Nateを失い、Billyへの復讐に執着するColleen。現在は同様にBillyに深い遺恨を持つRomeの配下として動いている。彼女の面会相手は収容者の中で最大の力を持つRi'Chess。彼にはBilly暗殺のため大金が支払われており、Colleenはその実行のための仲介役として動いていた。

そしてもう一組の面会者はBillyとGinnyの息子Hamを連れた義母であるMrs. Hoeck。信仰心に凝り固まり、Billyを家族の敵として排除してきた彼女は、Hamの母親であるGinnyが自殺未遂を繰り返し精神医療施設に収容されている現在、親代わりとしてHamを正しい道に導くための戒めとして彼に犯罪者となった父親の姿を見せるためにこの刑務所を訪れたのだった。

そして、二組の面会者が出口へと向かう直前、刑務所の全ての電力がシャットダウンされる。
外は猛吹雪に変わり、外界から遮断された刑務所は解き放たれた猛獣たちがひしめき合う暴力に支配された地獄へと変わり果てて行く…。


シリーズ第1作『Yellow Medicine』は、暴力によっては何も変わらない世界に暴力で向かうことしかできない男の虚無へと向かう内面の軋みをBillyの一人称で描いた作品。そして三人称に変わり、様々な狂気と妄執のせめぎあいの果てにその虚無の向こう側の暴力の暗黒へと押し進めた恐るべき第2作『Hogdoggin'』。そしてこの第3作では三人称で常に他の人間の視点から物語は語られ、Billy自身の内面はほとんど描写されず、この世の全てから糾弾され死を宣告されながら生き延び続けるモンスターとして描かれて行く。果たしてBillyがたどり着くのはどの地獄なのか?現代ノワールの一つの到達点である暗黒の大傑作、その目で目撃すべし!

作者Anthony Neil Smithは、一旦はこのBilly Lafitteシリーズを3部作として完結させることを考えたそうですが、友人である作家Les Edgerton氏の強い勧めもあってシリーズをさらに続けることを決意したそうです。そして2016年3月、Billy Lafitteシリーズ第4作『Holy Death』が刊行されることとなります。
しかし、その後の経緯については以前少しお伝えした通り。以前からの読者には絶賛で迎えられたものの、以前John Rectorの時に少し書いたような傾向の進んだAmazon.comのノワール・ベストセラー・ランキングでは100位にも届かず、メインストリームからは無視された結果となり、落胆したSmithさんは自身のブログで「みんなはLafitteを支持してくれてたんじゃないのか?俺は結局カルト作家にしかなれないのか…。」と悲痛な訴えを続け、4月1日エイプリル・フールにBilly Lafitteが誰にも顧みられることもなくなり絶望の中拳銃で自殺するという彼の最期を描いた「The Scars of Billy Lafitte」という文章が上げられ、そしてその数日後ブログを閉鎖することが告げられました。そしてBilly Lafitteについても続きを書くつもりはないとも。
その後、休暇で訪れたスコットランドで友人たちとの暖かい交流で少し精神的にも癒されたSmithさんは、6月にはブログも再開し、しばらくは自転車で走り回っている楽しい話などを伝えてくれていました。大体以前にお伝えしていたのはこのあたりまでかと。
その後、やはり結局は根本的な問題としては解決しておらず、ブログでも後ろ向きな発言が目立つようになってきてしまいます。しかし、昨年秋のバウチャー・コンでまた多くの友人たちとの交流を通じ、遂に完全復活!その後の10月1日にはCrimespree MagazineのウェブサイトにDave Wahlman氏による、俺はあのAnthony Neil smithにインタビューしたぞ!って感じのインタビューが掲載され(A Conversation with Anthony Neil Smith)、同日には自身のブログにて「もうウジウジ言うのは終わりだ!ニューヨークの大出版社がなんだ!俺は小さくてもクールで優れた本を出すパブリッシャーで頑張るぜ!」という前向きな発言で完全復帰が宣言されます。それを最後にいつの間にかSmithさんのブログは今度は完全に終了してしまったようです。やはりかなり色々なことがあったのでもう続けにくくなってしまったのでしょう。しかしその後はTwitterなどを見てもお元気な様子。時々攻撃的な発言はありますが、それはこの人の元々のキャラクターなので。ボブ・ディランへのノーベル文学賞で、自分の知っている作家の中でも一番に「これでノーベル文学賞はその意味を失った」と異議を唱えたのはSmithさんだったしね。実はそれでボブ・ディランへのノーベル文学賞も知ったのだったり。今年に入ってからは地元ミネソタのTVでもインタビューを受け、親友ヴィクター・ギシュラーに「奴がTVに出てるぞ!」と爆笑されていたりということもありました。

そしてこのBilly Lafitteシリーズについてですが、上記のように一旦は続きは書かないと宣言されましたが、最近では再登場を願う読者の声にまた続きは書くからもう少し待ってくれ、という感じに答えています。一部とはいえ私同様にこのシリーズを熱狂的に愛するノワールファンの前に再びBilly Lafitteが登場する日もそう遠くはないことでしょう。それまでに第4作も早く読んでおかなければ。
現在Smith先生の最新作としては、本年9月にThe Duluth Filesシリーズ第1作として『Castle Danger - Woman on Ice』が予定されています。これは元々はこのブログのみでおなじみのOolipo向けに書かれた作品で、Oolipoの方が先になるのかな。どちらにしてもかなり以前から期待しているこのシリーズ、発表の際にはなるべくいち早くお伝えする所存であります。
最初に書いたような事情で、現在短期的に入手困難となっているSmith先生の著作ですが、まもなくDown & Out Booksからの再発行が始まった暁には、この偉大なる現代最強のノワール作家にして無冠の帝王の著作を必ずやズラリと並べて見せることをお約束いたします。

【その他おしらせの類】
いくらなんでもそろそろ読まなければ、と先日やっと読み始めたタイミングでAdrian McKintyが『Rain Dogs』でエドガー ペーパーバック・オリジナル賞を受賞!これでいくらなんでもそろそろ出さねば、と考えていた出版社から翻訳の出る可能性も高まったことでしょう。しかし一方で期待の高まる中、ちょいと日本で出る際に気懸りなことが…。以前Adrian McKintyってホントに翻訳出てないのかよー、と調べてたときに彼に関する日本語の情報がいくつか見つかりました。それによると2014年頃彼がガーディアン紙に書いた「密室ミステリーベスト10」に島田荘司の作品を選出したとのこと。まあそれはそれで興味深い情報なのだが、現在それしか情報のない状態でそれが伝言ゲーム的にめぐって行くうちに「カーや島田荘司も好きなノワール作家」がいつの間にか「カーや島田荘司に深く影響を受けた作家」ということになり、日本で出る可能性の高い受賞作『Rain Dogs』がそういう要素の多い作品ならよいがそうでなかった場合「カーや島田荘司とは似ても似つかない作品だったので落胆した」などという勝手な思い込みによる見当違いで無意味な作品批判が集まる危険性が高くなるのではと危惧しているところであります。せっかく日本で出てもどうせそっちの権威や「読書のプロ」とやらの多くは北欧物でないからスルーしちゃってろくに書評もないまま「であるが」「であるが」ばかりが横行しそうな現状で、本来なら多数の作品が翻訳されているべき作家の日本デビューを挫くことになりかねない事態なのである。まあそちらは解説辺りにはぜひ載せておくべき情報だが、いくらなんでもそろそろ出さねばと考えている出版社の皆さんは間違ってもオビなんかにでかでかと書いたりしないようにね。あーこの作品についてかは知らんけどウィンズロウは前からMcKintyを高く評価してるのでそっちでいいんじゃないの?まあ叶わぬ夢かもしれないけどできればMcKintyの全作を読みたいと考える私なので、読んでいるのはもちろん最新作『Rain Doges』ではなく初期のやつなのだけど、「読書のプロ」とやらではハードボイルド読みは死滅し、ハの字と言えば30年ぐらいに渡りホークがスーさんがと言い出す先生やらまた一方ではビンテージ物と映画の話しかしないノワール原理主義者が幅を利かせるような悲惨な状況下、数少ない生き残りのノワールファンの良心、いや芯まで暗黒に染まった悪心として、小さき声ながらノワール作家Adrian McKintyについて近日中に熱く語っておく予定であります。次々回に間に合うかな?うむむ、現在のペースではそのくらいかも。なんかブログの次回予告とかしてるようなバカ者って私ぐらいかも…。あっ、色々先回りして言っちゃったけどさあ、とにかくどっかまずMcKintyをちゃんと出してねっ。

期待の新刊情報!如何でしょうかこの見るからに悪そうな表紙。昨年秋ごろから出るよー、との予告があり期待していた英国発アンソロジー『Switchblade』第1集が遂に刊行されました。えーと、どこで聞いたのかは思い出せないのだけど、トップにPaul D. Brazill大将の作品が掲載されているのでそっち方面だと思うのだけど…。しかし…実はこの本Kindleの普通のフォーマットではなく、プリント版そのままの形で出されており、文字が小さくなりすぎて小さい端末で読むのが困難な状態になっているのです…。察するにどうも割と最近になってKindleに導入されたComixologyの技術を使おうという意図らしく、最初にダブルタップすると拡大できるよー、というメッセージも出てるのだけどそれがちゃんと機能していないのである…。いや、私ぁ毎日Comixologyの方も使ってるんだから間違った操作してないと思うんだけど。ビジュアルにもこだわり本そのままの形で見せたいという高い志なのだろうがちょっと現状残念なところです。何とか早く改善してちゃんと読める物にしてほしいところ。いやホント期待してるんだからさあ。
で、そのBrazill大将なのだが今年に入りNear To The Knuckleより中編作『Too Many Crooks』、『A Case Of Noir』、『Big City Blues』3作を続けてリリース!まだ出るのかも。とりあえず連作とかではないようですが、いずれも100円台のお得価格で販売中。Brazill大将についてはCaffeine Nightsからの快作『Guns Of Brixton』のキャラクター再登場の『Cold London Blues』ぐらいは早く読まねばと思っているのだが。いや一方でさっぱり進まないイギリス勢の方も…。うむむ。
ちょっと遅れちまいましたが大御所の方でもランズデールがハプレナシリーズを連続リリース!2月にシリーズ本編最新作『Rusty Puppy』をMulhollandから。3月には『Hap and Leonard: Blood and Lemonade』を短編集『Hap and Leonard』を出したTachyonから。こちらはモザイク・ノベルってことらしいです。あと1月にSubterraneanから『Coco Butternut』って中編も出てるんだけど、こちらは日本からはKindle版購入不可…。なんかハードカバー版が法外な値段で販売されてっけどNookのやつ見たら3.99ドルなんだよ。何とかしてよ。しかしまあハプレナTVで盛り上がってるから付き合いのあるとこはみんな儲けさせてやるぜ、って感じがさすがの大御所らしいですね。こっちも結局どこも出してくんない『Hap and Leonard』ぐらいはそろそろ読んでる予定だったのだけど…。
その他、『Thuglit: LAST WRITES』でもその実力を示したNick Kolakowskiの初の長編作『A Brutal Bunch of Heartbroken Saps』がDown & Out傘下Shotgun Honeyからまもなく発売!ただこちらの作品26000ページもあるそうなので読むのが大変そうですね。いや、明らかに登録時のなんかのミスだろ。もしくは下町のおっちゃんのお釣りギャグトリビュートだったらNick Kolakowskiおそるべし!Shotgun Honeyからは280 Steps撤退で作品販売が中止になってしまった『Ridgerunnner』のRusty Barnesの新作の予定もあるそうです。あと本体Down & Out新刊ではThomas Pluck(ねこあつめ好き)の『BAD BOY BOOGIE』が注目。先日お伝えしたもう一つの傘下レーベルABC Group Documentationでも早くも第3弾(なんだか忘れちまった…。)のリリース予定が発表など、Anthony Neil Smith先生作品以外にも勢いを増すDown & Out系列。そしてまた一方でなかなか手を付けられないでいるうちにPolisからはまたしてもDave White、Alex Seguraの新刊が!もーどっかでPolis特集ぐらいの気持ちで読まんと…。と、いつまでたっても読まなければならない本は増えるばかりなのでありました。あっ、エドガーと言えばMcKintyとペーパーバック・オリジナルを競ったPatricia Abbottさんだっていくらなんでもそろそろ読まなければ作家の先頭集団の一人だろっ。



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●Anthony Neil Smith
■Billy Lafitte

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■その他




●期待の新刊
■英国暗黒勢力


■Joe R. Lansdale/Hap and Leonard


■Down & Out Books


■Polis Books



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